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山田太郎物語のようにいかなくても。

勉強が好きで貧しいながら大学で勉強したいと思い、必死こいて貯めた奨学金を手に、入ったそこには学力だけじゃなく顔もお金も標準装備してる人たちが待ち構えていた。


勉強を好きでやっている人はほとんどいなかった。そして奴らは別に抜群に頭が良いわけでも無い。僕の方が成績では上である。大学の成績なんて褒められても嬉しいものでは無いが。彼らはただ「姉が行っていたから行きたいと思った」とか「親に行けと言われたから」とかそんな理由偏差値の高い私立中高一貫か公立高校に入りそしてこの私立大学に辿り着いた人たちだ、私は唖然とした。この人たちと今から同じ場所で生きていき、友達になるとは到底思えなかった。彼らは分かりやすくブランド物を持ってキャンパスを闊歩しているわけではない。むしろそういう人は少数派だ。ブランド物を持つにしても大抵財布とかキーケースが関の山である。だが、食生活や帰省、旅行などちょっとしたところから彼らと自分の違いが浮き彫りになる度少しだけ悲しかった。(詳しくはこちらにまとめてます。)
https://note.com/light_eel202/n/n6ebe00af7f4d?sub_rt=share_b
経験の貧困という言葉はこういう意味なのかもしれない。
でも、私はすごく負けず嫌いだった。そこから料理を極めるためにありったけのバイト代で調味料を買い集め本格的な自炊を開始した。そしてモチベーションアップのためそれを写真に撮り記録した。つい先日、写真の枚数が50を超えた。少しだけ彼らに追いついた気がして嬉しかった。

経験不足なら今から楽しいこと、幼い頃やらなかったことをたくさんやればいい。山田太郎みたいに貧乏でも周りに気にかけてもらえるほど愛されてもないし頭も良くないけれど1人で苦しみながらも
少しの幸せを見つけ大切にしたい。

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