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北海道が好きになったわけ23

テニスは高校でも一応テニス部に入っていて、一応試合にも出ていたけど、一応と繰り返したのは軽音学部にも入っていて若干幽霊部員ぽかったから。

でも、北海道に来てからは他にもすることも無かったし、周りは少しだけ商店や飲食店があるだけで畑ばっかり。バイトができるような環境ではなかったので、テニスばっかりしてた。

僕も跡見さんも毎日のように練習して、自分でも上手くなっていくのが分かったので、暇さえあればテニスコートに行っていた。遂には授業に出席しないで、テニスコートに行くようになってしまった。

大学からテニスコートまでちょっと距離があったけど、その間にほとんど建物が無いので、校舎の3階からはテニスコートが見えていたらしい。

「シャケさんと跡見さん学校にいないなぁと思ってコートの方見ると、虫みたいに黒いのがチラチラ動いてた」と、よく師匠にニヤニヤと言われた。

そのうち、何か用事、例えば「提出物が出てない」とか「お前ら出席日数足りなくなるぞ」などの割と重要な話があると、教授達がテニスコートまで足を運ぶようになった。

さすがに面と向かって怒られるのは嫌なので、教授の車が来るとサササッと逃げたり隠れたりした。

「あれ〜?跡見と鮭山いなかったか?さっき黒いのが2人チラチラ動いてるのが見えたんだけどな。おかしいなぁ。いましたよね?さっきは」
「ええ、確かにいましたね。アイツら逃げ足早いですね〜」

と、英語と歴史の教授2人で来る時もあった。じつはその時は大柄なチクリンと岩田ちゃんの後ろに隠れていた。僕らは2人とも毎日8時間くらいテニスコートにいたので真っ黒に日焼けしており、ちょっとした日陰に入って人の後ろに隠れるだけであまり見つかることはなかった。

そんな中、一風変わった教授がいた。ロシア語の鳥尾先生だ。先生はテニスとスキーが大好きで、よく「僕も入れて〜」とニコニコしながらテニスコートにやってきた。
鳥尾先生が来た時は僕も跡見さんも影の術を使うことなく、一緒になってテニスを楽しんだ。

僕は鳥尾先生のゼミも取っていた。鳥尾先生のゼミは人気が高かった。なぜかと言うと、ほとんどの人が「優」を貰うことができたから。よっぽどダメダメじゃないと「良」にすらならない。なので、鳥尾ゼミに入れれば優がひとつ約束されたようなものだった。

なのに!なのにだ!!
なんと!鳥尾ゼミで「不可」になってしまった!
コレはマズイ!留年することになるかもしれない。

でも仕方ないとも思う。
ゼミには初日の他は「旭岳の温泉に行く」という時しか出席しなかったような気がするし、課題を出した記憶もない。というか課題自体知らない。

それでも、無理言って北海道に住まわせてくれている両親に「留年しちゃった。2年で帰る予定が3年になります」とも言えず。どうにかならないか、鳥尾先生にダメ元でお願いしに行った。

「先生、あのぉ、本当に申し訳ありませんでした。この不可、どうにかならないでしょうか。お願いします🙇」
「ん〜、出席日数足りてないし、課題も何も出てないので、単位を上げることはできませんよ」

いつも優しい鳥尾先生には珍しく、ニコリともせずにピシャリと告げられた。

いや、それはそうですよね、と理屈では分かっていたけど、超甘ちゃん小僧だった僕は、泣きそうになってうなだれて立ち尽くしてしまった。

すると、あまりに落ち込んだ僕を見兼ねたのか

「ん〜。。。。したら、可でいい?」
「え?」
「今から課題をやってきてくれるなら、可で良ければあげる。君はテニスやスキーによく付き合ってくれたからね」とニコニコしてくれた。

マジっすか!!!なんでもします!スグに課題やってきます! 

ということで、僕以外は全員「優」の中、大喜びで「可」を貰った。

この話をすると「スゲー大学w」とか「さすが拓大」と呆れられたし、今なら絶対そんなことはあり得ないとは思う。いや、昔だって本当はダメなのはよく分かってる。それは寛容とは違うかもしれないけど、でも、なんかそういうのもイイなって逆に今は思える。

僕は鳥尾先生が大好きだったので、初めて自分の車を買う時、鳥尾先生が乗っていたのと同じ車種「スプリンターカリブ」を買った。今でも鳥尾先生のように穏やかで和かな人になりたいと思っている。

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