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【引用】ドゥルーズ『ザッヘル=マゾッホ紹介』

今回読んだのは、ジル・ドゥルーズ(DELEUZE, Gilles)[1925-1995]『ザッヘル=マゾッホ紹介―冷淡なものと残酷なもの―』(堀千晶訳、河出書房新社、河出文庫、2018年1月、東京)です。

以下、引用した文章になります。

◇  ◇  ◇  ◇  ◇

2024年3月30日 15:18
ポルノグラフィ文学と呼ばれるのは、いくつかの指令語(略)と、そのあとにつづく猥褻な描写に還元される文学のことである。したがってそこでは暴力とエロティシズムが結合するが、しかし初歩的なやり方でそうなっているにすぎない。

ドゥルーズ『ザッヘル=マゾッホ紹介』2018: 25

2024年3月30日 15:20
サドの作品とマゾッホの作品が、 ポルノグラフィとして通用することなどありえず、「ポルノロジー」という、より高次の名に値するのはなぜかといえば、ふたりのエロティックな言語が、命令や描写という基本機能には還元されないからだ。

ドゥルーズ『ザッヘル=マゾッホ紹介』2018: 26

2024年3月30日 15:22
マゾッホは、おのれの作品の大半をばら色の様式で呈示するにしても、まさしくその際に、多種多様にわたる動機によって、運命的な引き裂かれんばかりの状況の要請によって、マゾヒズムを正当化するのだ。

ドゥルーズ『ザッヘル=マゾッホ紹介』2018: 37

2024年3月30日 15:24
サドの主人公たちは、推論の全能性によってのみ到達可能なあの観念に比べるなら、じぶんたちの現実の犯罪があまりにちっぽけなものであるのを見て絶望し、怒り狂いもするのである。

ドゥルーズ『ザッヘル=マゾッホ紹介』2018: 40

2024年3月30日 15:26
かれ、すなわちサドは、少なくとも、悪徳が悦ばしいものであるとか、嘲笑すべきものであると示したわけではない、かれは悪徳が無感情であることを示したのだ。

ドゥルーズ『ザッヘル=マゾッホ紹介』2018: 42

2024年3月30日 18:28
フェティシストは、子ども時代に不在に気づくまえに、じぶんが見た最後の対象をフェティッシュとして選ぶ(たとえば、足から上に昇ってゆくまなざしにとっての靴)。

ドゥルーズ『ザッヘル=マゾッホ紹介』2018: 46

2024年3月30日 18:31
サドの作中人物には一種のマゾヒズムがある。たとえば『ソドムの百二十日』には、リベルタンがおのれにさせる拷問と侮辱が詳細に記されている。サディストは鞭打つことと同じくらい、鞭打たれることをも愛しているのだ。

ドゥルーズ『ザッヘル=マゾッホ紹介』2018: 55-56

2024年3月30日 18:35
マゾヒズムのサディズムは罪を贖うことによって生まれるのだし、サディズムのマゾヒズムは罪を贖わないという条件のもとで生まれるのである。

ドゥルーズ『ザッヘル=マゾッホ紹介』2018: 58

2024年3月30日 18:40
拷問者の女性にある種の本性を求めるが、マゾヒストはみずからこの「本性」を育て、念入りに秘せられた計画にもとづいて教育し、説得しなければならないのであり、サディストの女性がいれば、その計画は完全に頓挫してしまうにちがいない。

ドゥルーズ『ザッヘル=マゾッホ紹介』2018: 60

2024年3月30日 18:42
拷問者の女性がサディストではありえないのは、まさしくかのじょがマゾヒズムのうちにいるからであり、つまり、かのじょはマゾヒズム的な状況にとって必要不可欠な部分であり、マゾヒズムの幻想が実現された要素だからなのだ。

ドゥルーズ『ザッヘル=マゾッホ紹介』2018: 61

2024年3月30日 18:45
拷問者の女性はマゾヒズムに属する。それはかのじょが犠牲者と同じ嗜好をもつという意味ではなく、サディストには決して見られない「サディズム」を有しているからであって、それはマゾヒズムの分身や反射としてのサディズムなのだ。

ドゥルーズ『ザッヘル=マゾッホ紹介』2018: 61

2024年3月30日 22:35
「女が男と平等になるや、男は身震いする」。近代人であるこの女性は、結婚のなかに、道徳のなかに、教会と国家のなかに、男性の発明品がひそんでいるのを告発し、それを破壊すべきだという。

ドゥルーズ『ザッヘル=マゾッホ紹介』2018: 71

2024年3月31日 16:28
『ジュリエット』においてキージが述べるように、「暴君が生まれるのは決してアナーキーのなかではない、暴君は法の庇護のもとでのみ成長し、法によってのみ権威づけられるのだ」。ここにサドの思考の本質がある。

ドゥルーズ『ザッヘル=マゾッホ紹介』2018: 133

2024年3月31日 16:30
法はそれゆえ、より高次の原理に向けて乗り越えられるのだが、この原理はもはや法を基礎づける《善》ではなく、むしろ逆に《悪》の《理念》であり、法を転倒させんとする悪意を抱く至高の《存在》である。

ドゥルーズ『ザッヘル=マゾッホ紹介』2018: 133

2024年3月31日 16:32
サディストは、あまりに強力な超自我をもつがゆえに、超自我と同一化してしまうのだ。サディストとはおのれ自身の超自我であって、外部にしか自我を見いださない。

ドゥルーズ『ザッヘル=マゾッホ紹介』2018: 186

2024年3月31日 16:35
超自我が解き放たれ猛威を振るうとき、超自我が自我を追放し、それとともに母のイメージをも追放するとき、超自我の根っからの不道徳性が、サディズムと呼ばれるもののなかでその姿をあらわすのである。

ドゥルーズ『ザッヘル=マゾッホ紹介』2018: 186-187


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