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【引用】シオラン『敗者の祈禱書』

今回読んだのは、エミール・ミハイ・シオラン(CIORAN, Emil Mihai)[1911-1995]『敗者の祈禱書』(叢書・ウニベルシタス、金井裕訳、1996年3月、法政大学出版局、東京)です。

以下、引用した文章になります。

◇  ◇  ◇  ◇  ◇

2024年4月28日 22:03
私たち人間は罪を犯しつづけ、陽を浴びながら腐りかけの林檎を齧りつづけるだろう。罪の知恵を好む点で私たちは「全能者」にひけをとるまいが――「誘惑」の苦しみのおかげで――「全能者」よりも偉大であるだろう。

シオラン『敗者の祈禱書』1996: 5

2024年4月28日 22:18
楽園と地獄とは一瞬の、ただ一瞬の開花であり、無益なエクスタシーの力を凌駕するものは何もないことを彼らは知らない。私は、死を避けられぬ人間である彼らの歩みのなかに、震えおののく瞬間の上での永遠の停止を見届けたことはない。

シオラン『敗者の祈禱書』1996: 7

2024年4月28日 22:21
一切は最後のものであり、ただ瞬間だけが、各瞬間だけが存在し、生命の樹とは、存在の現実態への可逆的永遠の湧出である――これは彼らとて知らぬわけではない。だからもう私は何も望まない。

シオラン『敗者の祈禱書』1996: 7-8

2024年4月28日 22:24
もし私たちが人間に、この単純な神秘を啓示することができるなら、彼ら人間は、この神秘の魅惑にうっとりと酔い痴れてしまうのではなかろうか。私は想い出す、あの日々と夜を……

シオラン『敗者の祈禱書』1996: 9

2024年4月28日 22:43
世界を存在させるのはただ芸術家だけであり、事物をその非存在から救うのは表現だけだ。(略)。生は、私たちの感動が持続するだけ持続する。感動がなければ、生は生の残骸である。

シオラン『敗者の祈禱書』1996: 16

2024年4月28日 22:44
言葉は、私たちがそこに生きている直接的な虚無の特権を奪い取り、虚無から、その流動性と不安定性とを奪う。(略)。こうして私たちは、仮象を存在物と化するのだ。実在とは凝固した仮象だ。

シオラン『敗者の祈禱書』1996: 17

2024年4月28日 22:56
世界を美のニルヴァーナのなかに沈め、至高の仮象のなかで至高なるものに達すること。瞬間の泡のなかで一切であり、無であること。そして直接性と儚さのなかで、自分のへりに直立すること。

シオラン『敗者の祈禱書』1996: 20

2024年4月28日 23:43
逆境と不幸のなかで、おおいに楽しめ。寄生虫が群がるときは容赦するな。君に楽園の門を開ける鍵などひとつもあるまい。不運は、君の不幸の永遠の炎を見守る巫子だ。この始源の炎のなかに君の墓を掘り、生きながらにして自分を葬れ。

シオラン『敗者の祈禱書』1996: 49

2024年4月29日 04:16
恐怖は、欲望と存在の間にかかる橋だ。そこにどんな均衡が見出せようか。現在は時間から切り離され、時間は、病人が食ったものを苦しげに吐くように、その瞬間を吐き出す。いま、いま、いまである一切のものは一種の病気だ。

シオラン『敗者の祈禱書』1996: 139

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