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#8 シンギュラリティの効果と人間の選択肢

環境問題はそもそも過剰労働によって引き起こされている。金のために無意味に物を作って売り捌く必要はどこにもなくなるのだ。必要なものだけを生産し、消費する社会なら、環境問題の大部分は解決するはずだ。(略)、捨てられるための服や食糧、広告が捲し立てる胡散臭い化粧品や洗剤を、企業がわざわざ製造して、莫大な広告費を垂れ流しながら売り捌く必要がなくなるのだ。

ホモ・ネーモ『労働なき世界』[2023: p.93]

 シンギュラリティはまだ起きていないという意見もあれば、すでに起きているという意見もあります。どちらも正解だと思います。シンギュラリティの効果は、グラデーションでわたしたちの生活を変えていきます。これからもっとわたしたちの生活スタイルは変化をしていきます。想像もつかないような世界になることでしょう。それは、ありきたりなSF映画のように、今のわたしたちの生活スタイルがより機械化されるということではないのです。そういった一面もたしかにあると思います。しかし、それはシンギュラリティによる変化の本質的な部分ではないということです。

 シンギュラリティによるわたしたちの本質的な変化とは、外面的なところではありません。わたしたちの内面にまで影響を与えてくるということです。数年前まではたいして気にもならず、気にする必要もなかったことが、今では気をつけないといけない、なんてことはいくらでもあるのではないでしょうか。それは、わたしたちの内面から自然と沸き起こってきて、もたらされた心境の変化ではありません。いつの間にかまわりが変化してきており、そのようにしないとうまく立ち回れなくなっていたわけです。シンギュラリティは環境の変化とともに、わたしたちの内面の変化も要求してきます。そのときに、ディストピア小説に出てくるような堕落した人間になっているか、それではいけないと立ち上がる人間になるかは、わたしたち自身が選択することなのです。

 シンギュラリティによって社会システムは大きく変化することになるでしょう。その変化は、わたしたちの生活スタイルや内面をも変えていきます。そして、その大きな変化を前提としてすでに動いている人たちもいるわけです。つまり、なにも考えずに流されるままに生きていた場合、この変化を好機として動いている人たちに主導権を取られることになってしまうかもしれません。フェイクとファクトの境界線があいまいになっていく世界のなかで、与えられた大量の情報に対してどうすることもできず、自分の感覚で「いいな」と思ったものだけを信じ、そんな自分を疑うことをしなければ、たとえ操られていたとしても気づきはしないでしょう。それで満足できるのならば、そのような生きかたも1つの選択肢ではあると思います。

 シンギュラリティが起こることは、もう止めることのできない確定事項だと思います。そして、それを利用しようとする人たちがいます。狙いは先回りしてうまく上に立つことです。もちろん、それもまた悪いことではありません。それぞれの正義の名のもとになされる行為であり、人間はつねにそうして生存競争をしてきたのです。これまでも社会システムの大きな変化は何度かありました。そのたびにさまざまな職業が失われてきました。ただ、これまではほかの職に就くことも可能でした。社会システムの変化によって今までなかった職業が生まれたからです。同様に、今度の大きな変化においても大量の職業が失われます。しかし、今回は今までのように新たに生まれた異なる職に就けばよいということになるのでしょうか。多くの職業が機械化され、AIが人間の代わりに働くことになり、そして時代は「脱労働社会」といわれるような世界になるのです。組織の歯車として働こうと思っても、人間が担当できる歯車の数は激減しているのです。

 とはいえ、〈シンギュラリティ後の世界〉はなにも考えない人間にとって、実は生きやすい社会になっているかもしれません。恐らくそのような社会が作り上げられることになると思います。ただ、意志をもって生きたいという気持ちのある人間にとっては、魅力の感じられない灰色の世界に見えてしまうかもしれません。しかも、その「生きやすさ」というものは、しょせん他人から与えられたものにすぎず、いつ取り上げられてしまうかわからないものです。そんな薄氷のうえを歩むような生きかたをして、いつもビクビクして生きるくらいならば、意志をもって〈シンギュラリティ後の世界〉をたくましく自分の足で歩んでいく人生を選んだほうがよいのではないでしょうか。

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