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敢えて、敢えての途中書き(7月4日雑感)~記事の見方・書き方・読み方~

おはようございます。

今日、
最初に書こうと思ったネタはボツにしました。
今日、
私が書きたい事はコレジャナイ感が半端なかったので…
後からまた、
書くかもしれませんけど…

読むのに苦痛は感じないのだけれど、
読み終わっても印象に残らない記事…
只々、
頭の中のゴミを捨てる為に読んでいる様な記事があって…

タイトルと本文に齟齬がある記事…
本当にこの人、
このニュース読み返しているのかと疑いたくなる記事…
速報性にばかり気を取られて、
そのニュースの本質からずれてしまっている記事…

タイトルの文字数制限に気を取られて、
物事の本質を掬い取れずにいる記事…

更に酷いのが、
そもそも、
タイトルをつけるセンスがない場合。
まず、
事実描写をしっかりしろと言いたくなる記事…

只々、
目の前に起きていることをぼーっと観ているくらいなら、
スマホをかざして、
素材を撮る方がマシな場合もある。

記事の伝え方・物事の伝え方は、
工夫すれば、
表現方法が拙い人でも、
どうにかなる場合がある。
下手に作為が加わるよりも…
素材がメッセージを、
的確に伝えてくれる事もある。

結局、
私達に問われているのは、
ものの見方だったりする。
何なら、
表現方法・伝達方法なんざ、
二の次・三の次だったりする。

何が起きているのか…
何を伝えたいのか…
改めて、
自分の心の池に、
小石を放り込んで確かめるのだ。

それで波紋が出来ない・見えない様ならば、
一度、
心の池の堰を切り、
心の池に溜まった泥やゴミを浚っていくのだ。
そうした後に改めて、
澄んだ水を注ぎ込み、
己が心の有り様をちゃんと映し出せるようにする。

明鏡止水。
大切な心掛け・心構えのはずなのに、
忙しさ・世知辛さ・悲しみ・恨みetc.で、
簡単に心の鏡を曇らせてしまう。

良くも悪くも、
心の鏡は波打つものなのだ。
普段朝起きて向き合う鏡とは、
違ったりする。
ああ、
朝見る鏡でさえも、
汚れたりもするし、
曇ったりもする。
でも、
心の鏡が曇ったりしていくのは、
余程、
普段から己の在りようを…
知る術、
確かめる術を心得ていなければ、
自分自身では分からないものだ。

私は、
そうした心の鏡の在りようを知る為に…
確かめる為に…
日々、
こうして書き綴っているに過ぎない。

無論、
私の心の鏡に映ったものが、
皆さんのお役に立てれば…
これ幸いです。

役に立つかはさておき、
自分自身の心の鏡ばかりではなく、
人の心の鏡も覗き込みたくなるのが、
人間の面白い所でもあります。
その後の行動や判断の中にこそ、
人間性が試されるのですけど。


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