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雑感記録(125)

【コロナ隔離日記】


〈DAY1〉

友人たちとランチ。その後話が盛り上がり23時まで想い出を語らう。卒業アルバムだけで2時間語れるぐらいには濃密過ぎた時間だった。友人宅から帰宅。帰宅後シャワーを浴びて風呂掃除。何だか身体が熱いなと感じつつも、「シャワー浴びたばっかりだから熱いんだろう。さっさと終わらせて寝よう」と水を掃ける。

掃除後、まだ身体が熱いな…と思っていたら何だか視界がぼやぼやしてきた。これは熱だなと思ったので体温計で測定。38.6度。おお、大分あるなと自分でも思わず驚く。今日も朝から晩まで過ごしたから疲れが一気に出たのかなと思ったが、万万が一何かあっても困ると思い階下に居た母親に状況を伝える。

「最近、コロナが周りで流行ってるから抗体検査だけしよう!」と言われ、僕も心配になり抗体検査を実施。夜中1時。そう言えば、僕は3日前に東京に行っている。コロナの潜伏期間は大体2~3日間と言われている。おやおや…これは抗体検査するまでもなくコロナなのではないか…と不安が確信へと変化していく瞬間。鼻の奥へ綿棒を突っ込む。液体に綿棒をつけ、検査キットに液体を垂らす。15分後、結果を見て納得。陽性だった。

まず以て心配になったのは、その日に会っていた友人たちのことだ。夜中1:47ぐらいにLINE。コロナ陽性になってしまったことを伝える。僕のことよりもまずはそっちの方が気がかりだった。別に僕は罹ってしまったのだから、家で大人しくしてればいいだけのことでそれはそれでいいのだが、少なくとも僕のせいで大切な友人たちに迷惑が掛かっては困ると。気が気でなかった。

しかし、何だか不思議なもので自分がどんな病気であるかということを認識した途端に急に具合が悪くなる。文字で病名を認識すると、呪文にかかってしまったみたいにそれに堕ちていくのが分かる。悪く言えば、病名に甘んじるということなのだろうか。病気になると言葉の恐ろしさがよく分かる。呪術の類はきっとこういうことで権威を持ったのだと身を以て感じる。そんな呪いと共に僕は眠りにつく。


〈DAY2〉

この日はお盆で祖母の家に行く予定だった。実は結構楽しみにしていたのだがコロナのお陰で予定が狂った。何より家族の予定を一気に狂わせてしまったことに罪悪感がある。朝から僕以外の家族はバタバタする。申し訳なさと呪いによる苦しさとの板挟みで精神的にも参りそうだった。しかし、一人暮らしでなかったことが幸いした。家族には迷惑を掛けるが、必要最低限の衣食住には困らない。何とも有難いことだ。

本を読もうかと思い身体を起すが、気怠くてダメだ。本を選ぶのも億劫だし、文字を追うことも今の状態ではしんどい。読書は諦めることにして、ベットに寝転んだまま枕元にスマホを置いてYouTubeやNetflixなどをひたすら流していた。しかし、ちゃんとその作品を見る程の気力もなく結局流しっぱなしにしたまま眠ってということを繰り返していた。

眠る時、何だか呼吸が苦しい上に鼻が詰まってまともに呼吸が出来ない。大げさな話だが、このまま肺を患って死ぬんじゃないかと頭をよぎった。従前、テレビで「タバコを吸っている人は重症化率が高い」なんて言うのを聞いたことがあるから可能性は一応ゼロではない。またもや言葉にがんじがらめにされる。

本当に最近、祖父を亡くしているから何だか僕にとってまだ死というものが身近であった。だからというと何だか後付けの理由みたいで些か気持ちが悪いのだが、色々と自身の死についても考えてしまう。

例えば、これから僕が死ぬ場合には誰に伝えたいかとか、どういう形で伝えようかとか…。何なら「いや、俺まだ死ねないよな!」なんて色んな事を思ってみたりした。あとは馬鹿みたいだけれど、こういったインターネットに記録として残っているアカウントとかトーク履歴とかどうなるんだろうかと心配になる。親にトークの内容とか見られるの嫌だし、それこそマッチングアプリでのトーク見られたら恥ずかしすぎて顔から火が出て火葬される前に燃えてしまいそうだ。

しかし、こんなことを考えられる余裕があるのだから僕はまだ死なないだろうとも思った。もし僕が今後定年を迎えて退職したら、SNSも最低限のものだけにしようと心に決めた。仮に僕に子供が出来たとしたら、彼らに迷惑かけないように今のうちからでも準備は出来るよななんてあることないこと考える。

妄想は自由だ。


〈DAY3〉

熱が一向に下がる気配を見せない。加えて元々の鼻炎が悪化し鼻が痛い。喉も痛い。何だか痛いところが少しでもあると弱気になってしまう。どうしても何かをしようと思っても、身体の異状に全てを持って行かれてしまうために集中できない。思考も前日に比べて中々進まない。

YouTubeとNetflixを垂れ流しにしながら寝転ぶ。先日に比べて理解能力が徐々に回復してきているようで、それとなく内容についても分かるようになってきた。そこで僕は『マニアック』を見る。

以前も1度見たのだが、何度見ても面白い。僕は伊藤潤二の漫画は読んだことが無い。このアニメ作品が僕にとっての初めての伊藤潤二体験なのである。ホラー漫画を描いている訳だが、何だか僕はホラーという印象を受けなかった。BGMとかがそれっぽくなってるだけで、話を見ればしっかりしてるし面白いなと。個人的には「アイスクリームバス」と「いじめっ娘」が大好きだ。

しかし、やはりこういう中身の詰まった作品を見るともうダメで、頭が参ってしまう。そこで午後からはYouTubeを中心に音楽を垂れ流しにしながら寝ていた。坂本龍一や久石譲を中心に聞く。『energy flow』が流れた時には思わず震えてしまったが、これは熱から来るものか曲の感動さによるものなのかは分からない。しかし、何度聞いても『energy flow』は最高だ。

そういえば、コロナに罹る直前、僕は坂本龍一の『音楽は自由にする』というエッセー集を読んだ。これが結構面白くて最高だった。というより、坂本龍一の凄さに驚かされた。僕は予期していなかったが、まさか坂本龍一から"デリダ"という名前が出るとは…。でも改めて思ったことは、素晴らしい芸術家はジャンルを問わずあらゆる分野に興味関心があるのだなということは身に染みて分かった。

気が付けば随分と寝ていた。精神的には大分よくなったが、やはり体調はまだ戻る兆しが見えない。早く良くなって欲しいものだ。


〈DAY4〉

今日は調子が良い。体温計を手に取り測る。37.5度。大分熱は下がった。身体も心なしか楽になった。しかし、相変わらず鼻が痛い。喉も痛い。これは参った。完治するまでにどのくらい掛かるのだろうか。

午後から平熱になる。身体も楽になり、何なら元気に溢れてしまった。しかし、むやみやたらに外に出る訳にもいかない。かと言って部屋のなかで暴れる訳にはいかない。……いや、いい歳こいて部屋で暴れるって何するのよ…。

熱があった時は食欲が無かったが、今日は食欲があったので隔離先の母親にLINEで「腹が減ったので何か飯を恵んでください」と送った。しばらくして僕の部屋の目の前に飯が置かれる。こういう気配りも有難いものだが、単純に「飯」と言えばすぐに出てくることの有難みを非常に感じる。母親は偉大である。

飯を口に運ぶ。モグモグして飲み込む。おやおや、おかしい。味がしない。匂いを嗅ぐが、匂いもしない。おやおや、こら一体どういうこった…。もう1口食べてみる。……うん、やっぱり味がしない。

食事っていうのは僕は個人的にだけれども重要な時間、行為だと思っている。美味しいものを食べることの愉しみ、そして喜びとでもいうのだろうか。これは表現が難しいのだが、凄く美味しいものを食べた時に感じる幸福感とでもいうのだろうか。そういったものを感じられなくなってしまうことは人間としての醍醐味を失ってしまうことだと思われる。それに食事は人間が生きるためには必要不可欠な行為である。それに愉しみがないなんて生きていることとは!?

味がしない食事はただの作業だ。僕は作業的な食事は嫌いだ。例え忙しくても味わって食べたい人間である。仕事の合間に駆け込むコンビニの飯だって味わって食べたいが為に時間を掛ける。それぐらい僕にとって食事は愉しみの1つである訳だ。ところが…。

酒も飲めなくなって、飯の味も感じられなくなって…。僕の愉しみは無くなった。いつか終りが来るだろうか…。


〈DAY5〉

今日も味のしない食事を済ませて朝から異世界転生系のアニメをひたすら見る。しかし、異世界転生系のアニメの主人公はみんな能力がチート過ぎて羨ましい。自分が現状持っている能力だけで異世界を統べる存在に簡単になれちゃうし、しかもハーレムみたいな状況を簡単に作り出せる。羨ましい。

これが例えば転生する前からチート級の技術を持っていました!みたいな感じだったら「んだ、このやろう」とも腹が立つのだが、普通の極々一般人が異世界で活躍できるのだからそれは羨ましい。本来的に努力する必要が無くても活躍できちゃうのだから。

さて、明日朝イチで抗原検査をして問題なければ出勤だ。そろそろ出勤しないとやいのやいのと言われても溜まったものではないので、今日はこれぐらいにして寝るとしよう。

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