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写真を通して世界に出会ったこの一年のこと【記録・雑感】

#写真が好き」の募集が始まって、喜び勇んだ。語りたいことがすぐに湧いてきたからだ。

私は撮る側ではなく、写真をもっぱら観る側である。
日常や旅行記は撮るけれど、本格的にカメラをそろえたり、構図に凝っている人ほどは関心がおよばない。

それでもこのテーマで書きたかったのには、理由がある。
「写真」の世界がどれだけ魅力的か・おもしろいか、私はなんとこの「たった一年」で気づき、より深く出会い直してほやほやだからである。

たぶん「写真が好き」なたくさんの人に、いつかはそんなことがあった、と思い出したり、今の気持ちに頷いたりしてもらえるはずだ。
だから、去年からの一年あまりのことを書こうと思う。

……とはいっても、カメラがもらえる企画だし、写真が好きな人が検索するはずだから、ところどころには私撮影の写真も載せておこう。
愛機は大学時代の誕生日に、「首からカメラ下げて散歩してる女子大生になりたい!」と何故か思って親に買ってもらったCANON EOS M100である。

そんな自己紹介をしたところで、では、改めて去年から。


去年、好きになった写真家のこと

私の好きな写真家を紹介しよう。
天体写真家のKAGAYAさんだ。

美しい空を求めて世界を旅しているほか、日本の天体現象や花火もことあるごとに知らせてくれる、身近なアーティストだ。
「空をご覧ください」のひとこととともに、ほとんど毎日星の情報を発信している。
私はKAGAYAさんのおかげで、「写真という媒体」についてしみじみ考えるようになった。

この人の目には、空がこんなに活き活きと見えているんだな。
この人の撮影のおかげで、今、空の上で何が起こっているか、考えている人が何千人もいるんだな。

KAGAYAさんの写真は、日々窓辺に見える月から、遠い国の山頂の星空まで、その魅力を私たちにキラキラ輝いて教えてくれる。

私は2022年、去年の夏に、旅先の沖縄でKAGAYAさんを知った。

ホテルから徒歩10分だった首里城

コロナ禍でふりつもった旅行欲を晴らすために、友達と、屋外プランメインで組んだ沖縄旅行。
その時沖縄県には、新型コロナ第七波の流行が迫っていて、決して、息を抜けるだけの時間ではなかった。

迷惑をかけないように、検査キットを持参し、雑談時は人混みを離れるように。
そんな旅の途中で、国営海洋博公園(美ら海水族館があるエリア)に、誰もいないプラネタリウムを見つけた。

私はこの公園に美ら海水族館以外の施設があることすら初めて知った

ほっと息をついて「30分、寄り道しない?」と誘ったとき、二人とも歩き疲れて、きっと穏やかな星を見ながら、眠ってしまうだろうと思っていた。

けれど、そんなことはなかった。
その日、上映されていたのは映像作品「星の旅 世界編」。
このときKAGAYAさんのことは知らず、複数映像が掛かっていた中でたまたま、上映時間の合うものを選んだだけだ。

なのに、目を奪われた。
始まった瞬間、いっぱいに視界に広がるのは、KAGAYAさんが世界を旅して映してきた、たくさんの美しい空の写真。
映像は、地球上でも、緯度や経度をはじめとする地域条件で、見られる景色が違うことを解説していた。
景色を通じて世界各地にダイブしたような感覚にとらわれ、まじまじと魅入った。

世界のみならず、解説は宇宙にも及んだ。
CGと天体写真を組み合わせた映像の臨場感、付けられたmanamikさんの荘厳な音楽に、指先がしびれるほどゾクゾクした。

出てきたとき、私たちはすっかり体験の虜になっていた。

「全然眠くならなかった!」
「世界に行ってみたくなったね」
「プラネタリウムって楽しいんだ」

会話がはずんで、友達も同じ思いだったと知る。
映像中の特に印象深かったスポットが挙がって、ウユニ塩湖に行こう、と、今までならありえなかった旅行プランにまで話が及んだ。

「三〇代か四〇代なら身体もついてきてお休み取れるかなぁ」
「それまで元気でいなきゃね」

公園からホテルに帰るバスの中で、疲れて眠る。

私はこの旅行から帰っても、星と旅への熱がさめなかった。

星にささげた一年のこと

旅のバスを待ちながらKAGAYAさんやmanamikさんについて調べた私は、帰宅して、さらに星のことを知りたいと思うようになっていた。

東京で行けるプラネタリウムをいくつも探す。
科学館の天体展示室で、ふとKAGAYAさんの自伝を見つけ、あのウユニ塩湖の表紙に惹かれて手に取った。

この自伝は一層私の心を動かした。
KAGAYAさんが星を撮るために実施した、数々の冒険が綴られていて、あの美しい写真たちは、決して、奇跡だけでは成り立っていないことが分かったからだ。

天体現象の時間を調べ、掲載されていない内容も計算する。
世界各地の交通手段を調べ、理想の撮影条件の工程表を作る。
そこまでやってもうまくいかないときもある。天候や交通トラブルで旅が頓挫しそうになると、臨時で移動したり、現地の人と交渉までしたりする。

奇跡はそんな、緻密に織り上げられた冒険の中で、ほんの時折応える。
KAGAYAさんは自分の行動を、「100昼夜富士山に通い、車に寝泊まりしながら30万枚の富士を撮る」と例示している(『一瞬の宇宙』p.166より)。その中に、本に載るような美しい写真が、数枚あるのだろう。

やりたいと思うことを徹底的に、正気を失ってやったときに、ふつうの仕事では到達できないようなものをつくることができるのではないか。
(同書、同ページより)

この自伝にある、この言葉が私は大好きだ。
KAGAYAさんは星を愛して追いかけた結果、小惑星に「kagayayutaka」と己の名を刻まれるほど、世界に愛されている。

きっと、写真を大好きで撮る多くの人々の中に、この言葉やKAGAYAさんの行動と、通じるものがある。
良い一枚のために粘り、心躍らせ、日々美しいものに目を開く。

そして、私の場合は写真ではないが、私も自分の大好きなことをするとき、心がこうした言葉にシンクロする。
noteなどの文章を書くこと……特に、本を読んでそこから受けた「好き」を綴っているときには、自分を引きずる私の力は強大だ。

この力強さを、せっかくだから星にたとえよう。
心の中に「好きなもの」という星が持つ、特大質量の引力のようなものがある
私はそれに誘われて、熱中してものを書くだけではなく、本を買って知識を収集したり、出かけたりもする。

KAGAYAさんの自伝から受けた力も、私をそうさせた。
私はKAGAYAさんの世界に熱中し、さらに天体のことを知ろうと手引書を集めたり、天文施設の発信を追ったりした。

今年5月、KAGAYAさんの展示が西武池袋本店で行われた
この展示に、私は「星のこともアーティスト本人も知らない」という同居人を引きずっていった。

展示は美しく、またそれ以上に心躍り、幸福が湧くものだった。
私は展示の最後に飾られていた写真を見た時の自分の感情を、よく覚えている。

全作撮影可能な展示だった。それもあなたの足取りを残していいよと言ってくれるようで、嬉しかった。

夕空をバックに椅子の置かれた丘の風景。
テキストが付けられている。

この世界は、知らなければ見過ごしてしまう贈り物であふれている、と私は思っています。
その贈り物の宝庫の空はいつでも誰の上にも広がっていて、自由に見上げることができます。

こんなことを考える人だから、この人の世界は優しく美しいのだ、と思った。
KAGAYAさんは、写真を使って、自分が見つけた贈り物を、他の人にも見えるように指差してくれる。

同居人の反応も「すごく良かった」という嬉しいものだった。上気した頬が本心であることを語ってくれていた。
私自身、突然星にハマり、KAGAYAさんの展示に行きたい行きたいと騒いでいたときは、周囲からは冷静じゃなく見えただろう。
その「正気を失った」行動が、新しい一つの「好き」の星を生んだようで、嬉しかった。

沖縄での出会いという星の誕生から、一年。
私の宇宙は今も輝いていて、広がり続けている。

まだまだ広がる世界のこと

ファインダー越しに写真家が残す世界は、世界への愛情をそれぞれに写し取っている。
私はこの一年を通して、そう思うようになった。

この一年を過ごす間に、好きな写真アーティストが一気に増えた。
プロであれば、自然写真家の高砂淳二さんに最近関心を持った。
ほかにも、XやInstagramで「写真が好き」とプロフィールに記載している人を、たくさんフォローしている。

日々タイムラインで、Instagramふうに淡いフィルターをかけた、花や海の写真を見ているのが特に好きだ。
「ああ、この人の目には、世界のこんな部分が『可愛い』『きれい』『楽しい』と思えるのか」
そんな視線で人の作品を眺めている。

そのおかげで最近、特に「アツい」のが、写真そのものではなく、写真越しに出会った新たなジャンルだ。
その名もスイーツアート
クッキーやケーキを可愛くデコレーションすることでアーティスティックな見た目を創作するジャンルだ。

もちろん美味しいのだろう。
完成品を食べる前に撮影する特性上、写真ジャンルとの相性がいい。

私のスイーツアーティストイチ推しは、現在ロンドンで活躍中のKUNIKAさん
次回ロンドン旅行に行ったら、絶対、ぜーったい、KUNIKAさんが勤めているカフェ「sketch」に行きたい。

写真は世界の記録だ。
自分の目を通した「ねえ見て」を、世界にピン留めしておくこと。

私は小さい頃から本が好きで、認知の最大比重は文字だった。
加えてアニメを観たりイラストを描くのが好き。
長いこと「情報なら文字、楽しむのなら実写より絵」だった。

だけど、情報発信にまつわる文化が進化して、ふつうのひとにも、「インスタ女子」くらいの感覚で写真がカジュアルになって……
私にとっては良かったなあ、と私は思う。
ひとこと日記が添えられていたり、絵みたいにキラキラしていたり。そんな写真の身近さを通じて、私はどんどん色々な人の「」が好きになった。

お題企画に喜び勇んだ瞬間、あ、私、もう「写真」も好きになったんだなあ、としみじみ思った。
生きて、世界に出会うたびに、好きと呼べるものが増えていく。そのこと自体を、人生の醍醐味として私は楽しんでいる。

さあ、あなたの好きなものを、カメラを通して教えてほしい。

なお、「私の目」と呼べる写真がここまであまりなかったので、最後に蛇足として付けておく。
2017年、5年以上前に手持ちのスマホで撮影しているこの写真が、私は今でも好きだ。

東京・上野恩賜公園の蓮池を通りながらふと、駐車場のシグナルを「空の案内板みたい」と残したものだった。
記事のヘッダー画像は、仲間がいないかな、と「駐車場 空」で検索して、noteの共有写真から見つけたものである。

そういう、ワクワクする思いをひとさじ日常に付け加えてくれるもの。
私は写真をそうやって楽しんでいる。

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