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#10 壮絶な歴史を感じる都市・ウィーン

年末にオーストリア・ウィーンに行ってきました。
ヨーロッパと言えば、その歴史的な街並みが多く残っていて優雅なイメージがありますが、オーストリアは私が訪れた国の中でも、特に豪勢で壮絶な歴史を感じるまちでした。

世界史をとっていないのであまり詳しいことは知らないのですが、「オーストリアはヨーロッパの真ん中に位置し、ヨーロッパの様々な歴史と運命を共にしてきた」という文章が納得できるほどもりだくさんな都市でした。

私は今回、JTBの現地集合解散バスツアーに参加しました。このツアーには要所で日本語のガイドさんがついてくれたので、本当に充実した旅になりました。もともとガイドツアーではなく自由行動が好きなタイプだったのですが、中欧・東欧に行かれる方は本当にガイドさんに頼ることをお勧めします。歴史が本当に複雑で膨大なので、、
そして、説明で歴史的背景を知ってから、美術館や建造物を回るとさらに理解も感動も深まります。

その中でもマリーアントワネットやナポレオンは世界史を知らなくても聞いたことがあると思います。ザ・教科書に載っていたナポレオンを見てきました

おなじみの姿

マリーアントワネットはかつてのオーストリアの女帝、マリアテレジアの末娘。政略結婚によってフランスのルイ16世にとつぎました。
私は小さい頃から本より漫画が大好きだったので、学校の図書館で漫画を読み漁っていました。小学校のころは伝記シリーズをずっっっっっっっと読んでいたのですが(漫画はそれしかなかったので(^^;)、マリーアントワネットもその一つでした。でも、ずっとなぜマリーアントワネットが伝記になるのか全く分かりませんでした。他の伝記シリーズに出てくるのは看護師の重要な礎を気付いたナイチンゲールや貧民救済のマザーテレサなど、どう考えても歴史的に褒められるような人たちばかり。「パンがないならケーキを食べればいいじゃない」という名言?を残し、後にその贅沢生活から国民の怒りを飼い、処刑されたような人がなぜ伝記になっているのか小学生の私には理解できませんでした。
当時父に聞くと、「確かに偉人ではないかもしれないが、歴史の波に翻弄された悲劇の人だったかもしれない」と言われ、ますます分かりませんでした。

ですが、大学生になった今、たしかに伝記になるべき人だったなあと思います。偉人だからとかじゃなく、歴史的に記録すべき壮絶な人生を送った人物。
そもそも歴史を学ぶと毎回思うのですが、昔は結婚する年や本格的に政治に参加する年齢が本当に若い((すごい))。マリーアントワネットが当時敵国であったフランスに嫁ぎに行ったのはなんと14歳。私が14歳のころは学校にいって部活に行ってのんきに遊んでたなあ。
現在なんかより何倍も貴族と平民の隔てや差別が大きかった時代。その最高潮ともいえるハプスブルク家に生まれてフランスの王太子に嫁いで、、となればもうなにが贅沢で何が贅沢ではないのかなんて分からなくなりそうですよね。そして14歳で親と離れて王族としての重圧の中異国で過ごす。。
現代のような教育を受けずに彼女に生まれ変わったら、私は彼女と同じような運命をたどってしまうだろうなあ。
そういう意味で、時代に翻弄された悲劇の女王、というのは適切な表現かもしれません。

そんな彼女が幼少期に過ごしたシェーンブルン宮殿がこちら


ちょうどクリスマスマーケットもやってた

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