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君たちはどう生きるか

昨日から、考えごとばかりしている。
『君たちはどう生きるか』を観てきたからだ。
正直、よくわからない映画だった。
観ている時から、え?どういうこと?何で?どうして?の連続だった。
映画館を出てからも、ふと、あるシーンが頭に浮かんでは、あれはどういう意味だったんだろう…などと考えてしまうのを、繰り返している。

冒険ファンタジーのような体をしているが、実はなんだか非常に深いものを秘めている感じがする…けど、それが何だかハッキリ定まらず、もやもや気になるので、他のことに集中できない。
おかげで、書きかけの別記事を中断して、これを先に書くはめになっている。


何かヒントになればと、他の方のレビューを色々読んでみた。
なるほど、そういう考え方もあるかと感心したり、それはちよっと、無理なこじつけではないかというのもあった。
酷評も多く、賛否両論入り乱れている。

そんな中、私はある記事で、宮崎駿監督が『くるみ割り人形』に影響を受けたというのを知って、やっと、あぁ…そういうことか、と少し腑に落ちた。
この映画は、きっと意味や理由を考えても、あまり意味がないのではないかと気づいたから。
主人公クララが夢の王国に入りこんだように、はたまた「ふしぎの国のアリス」がおかしな悪夢を見たように、理屈の通らないナンセンスな世界を描いているのであって、どれが正解、なんてないのだ。

悪夢めいた世界だから、醜いものや、ちょっとグロテスクなものも出てくるし、つじつまが合わないことも出てくる。
生と死が共存し、危険に満ちているのに、どこか嘘くさくて実感がない。
謎が生まれても、答えは教えてくれない。

もちろん、宮﨑監督の頭の中には、ある思いやイメージがあって創り上げた世界なのだろうけど、どう受け取るかは観た人が決めることであって、もっと自由に、好きに遊んで受け取っていいのだと思う。
チシャ猫が、何でニヤニヤ笑いながら消えていくのか、真面目に考えたって何の意味もない。
宮﨑監督の頭から溢れ出た空想や、ほとばしるイメージの数々に、ただ身を任せたらいいのだ。

映画を観終わった後に、いろいろわからなくて考えてばかりで疲れた、と言ったら、
「え〜、何にも考えないで、ただ、うわっスッゲ〜って観てた」
と、ムスメに言われた。
え〜、そうなの?と驚いたが、
「けっこうスキかも」
と余裕のひと言まで漏らすのを聞いてたら、案外ムスメの鑑賞の仕方のほうが、この映画には合っているのかもしれない、なんて思ってしまった。


そんな、訳のわからないとか、難解とか言われている作品にもかかわらず、最後まで飽きずに見せてしまうのは、やはり宮﨑監督の凄さだと思う。
手がけたのが他の監督だったら、居眠りしたり退出する観客も出ているに違いない。
様々なシーンが脳内に刻まれてしまい、家に帰ってからも、ふっと、ある一場面が浮かんでくる。

これに似た体験が前にもあった。
それは、『バグダッド・カフェ』を観た時。
やっぱり、ちょっとよくわからない映画で、これといった展開もなく、ただゆるゆると流れるような映画だった。
なのに、観終わった後も、何度も映画の中のシーンが頭に浮かんでは、あの気だるい感じの曲が流れてくるのだ。
人間、謎めいた、すぐには理解できないものを見たときの方が、脳に深く記憶されるのだろうか。
マグリットの絵を見たときのように。


『君たちはどう生きるか』が、訳のわからないなりに、まとまっている印象を受けたのは、児童文学のファンタジーの要素を取り入れているからかもしれない。

かつて児童文学を学んでいた時、子どもの本のファンタジーというのは、「行きて帰りし物語」なのだと教わった。
主人公は、時に奇妙な案内人に導かれ、不思議な世界に入り込んだり、様々な冒険をしたりするけど、最後には、必ずまた元いた場所に帰ってくるのだ。
そこには、希望がある。
どんなに遠くに出かけても、辛く大変な出来事に遭遇しても、自分の居場所に無事に帰ることができる。

宮﨑監督は、昔から、壊れゆく世界について危機感を持っているように思えた。
それは自然破壊だったり、常に何処かで戦いが続いていたり、未知のウイルスに怯えたり、便利と引き換えに心の豊かさを失っていくような、危うい世界。
映画の中に出てくる積み木のように、グラグラと危なっかしく、ほんの少しボタンをかけ違えただけで、全てがガラガラと崩れ落ちてしまうような。

そんな宮﨑監督が、もしかして人生最後になるかもしれない作品に、児童文学のファンタジー的世界を選んだことは、興味深い。
『風立ちぬ』でファンタジーを離れ、リアルな人間模様を描き、もう自分は引退すると宣言した宮﨑監督が、再び創ろう、創らねばと決心して生み出した作品。
それが、『君たちはどう生きるか』なのだ。
壊れゆく世界に生きていても、まだ希望を捨ててないのだ、と思った。


映画を観て、「(この作品の)主人公は何もしない」と感想を書かれてる方がいた。
「何って行動を起こさず、成長もしない」と。
私は、違う印象を持った。
この主人公、眞人こそ、希望の象徴のように見えた。

塔の中の世界では、元いた場所とは姿が違ったり、戻って来た時に、塔の中の世界の記憶を無くしてしまう者ばかりだ。
眞人だけが変わらず、記憶も失わないまま戻ってくることができた。
自分の過ちを認める強さもあるし、申し出を断る勇気もある。
何よりも、母には元の場所に戻って生きる決意をさせ、新しい母には、歩み寄ることで自信と優しさを与え、ふたりに未来への希望を見せる存在となったのだ。
まだまだ、この世界で生きていける。
そんな明るい光を感じた。


最後に…
いつもなら、オススメですとか、よかったらぜひ!などと書くところだが、今回はそう簡単に勧められる映画ではない。
私自身、この作品が好きなのかどうか、よくわかってない。

ムスメが、「あと4回ぐらい観たら、理解できるかもよ」と言っていたが、相性の悪い人なら、一回でもう十分と思うだろう。
でも私は、機会があればもう一回観てみたいと思った。
きっと、観る度に違う姿を見せる万華鏡のような作品ではないかという気がするからだ。
初めて観た時とは、また違った感想を持ち、新たな気づきがあるかもしれない。


何でもスマホ1台ですぐに答えが出て、膨大な情報に囲まれ、つい依存しがちな私達。
たまには、自分の頭だけで感じ、考え、物思いにふける時間もいいだろう。
そんな風に、宮﨑監督に言われているような気がした。



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