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八王子からの2時間は、遠いなんて思わなかった。やっと見つけた、人生の甲斐

元々、僕はまじで虚しさしかなかったので、虚しかったからこそ逆に今、生きているだけで幸せって状態なんです。生きているだけで幸せです、といったらギャップありすぎかもしれないですけど。笑顔でそう話してくれたのは、小学校からテニスを続け、教会をきっかけにサッカーも始めたという翔太郎さん。目黒区碑文谷の「希望光教会」にてインタビューしました。

東京ライフスタイルマガジン
by 希望光教会(キリスト教福音宣教会)
https://light-of-hope-church.com/

進学や就職で多くの若者が集まり、出会いも娯楽も溢れる東京。忙しい現代を生きながら、なぜ2000年も前の出来事が書かれた聖書に惹かれ、人生のバイブルとするのか。東京というキーワードが切り口のインタビュー企画。


郊外育ちの僕が思う東京の魅力


東京は、新しいものがいっぱいあって、情報がたくさん集まってる感じが好きかも。新しいモノやイベントなど、歩いていたら最先端の何かと出会えるんです。

銀座をちょっと歩けば、高級ブランドの入り口にホテルマンみたいな人が立っていたり、めちゃくちゃでかい看板があったり。日比谷公園に行けば、イベントをやっていたり。そういった非日常、普通じゃない景色が見られるのが好きです。

僕は東京出身だけど、日野市で生まれて八王子市でずっと過ごしてきたので。大学も東京都の23区外で、社会人になって都心の会社に就職しました。今は、実家を出て目黒区で暮らしてます。

八王子は、都会と田舎のバランスが良くて、住みやすいですよ。そこそこ駅は大きいので、飲食店もいっぱいあるし、服とか靴とか、一通り欲しい物が揃ってます。少し行けば高尾山もあるし、近所の坂を登ったちょっとした丘なんかも、すごく見晴らしが良いんです。

その丘は2、3年前、気晴らしに散歩に行ってみたら、改めて良い景色だなと気に入りました。基本、眼下は家で、遠くに山が連なって見える。遮るものが無いので、遠くがよく見渡せるんです。日の出を見に行ったこともあります。社会人になりたてで仕事がしんどかったとき、よく通って、ぼーっとしていました。

大学院を中退、仕事のやりがいを問う日々


高校の時に理系を選択して、大学では電気電子を専攻しました。院に進んだのは、理系だから大学院、っていう流れで。院試免除に向けて頑張って、そのまま進学しました。

ただ、大学院に行ってみたら、研究がつまらなかったのと、研究室の先生がちょっと苦手で。学部までは、授業聞いてテストに向けて勉強して合格点取って…と、高校の延長のような学生生活でしたが、院になると研究がメイン。自分で論文読んで実験して、ということをしないといけないのに、全くモチベーションが湧かなかったんです。これはやりたいことではないなと。

就活も初めは、先輩がメーカーに行く人が多かったので、そういうところを見ていました。大手電機メーカーのサマーインターンで2週間くらい、回路を作って抵抗を測って、というのをやりました。それはそれで楽しかったんですけど、2週間だったから楽しかったなというのも同時に思って。自分は理系ってずっと思っていたけど、理系じゃなくてもいいんじゃない? そう考えるようになって、大手、ベンチャー、理系、文系、色々見始めました。

そんな中で、IT系スタートアップから長期インターンの誘いがあって。面接を受けてみたら理念とかがしっかりしていて、やってみたいなーと。まだ社員が5、6名で、オフィスもアパートのワンルームみたいなところでした。

大学院1年の終わりに、学生をこのままもう1年やっていくのか、と考えました。このまま研究をもう1年しても、たぶん自分にとって、得るものはあるだろうけど、得られる量は少ないな、と。それよりは、インターンをやった方が自分の実になりそうだなと思い、大学を辞めることにしました。

3月末に院を中退してからは、インターンと就活を続けました。教育分野にも興味を持つようになって、理念に共感する埼玉の会社を見つけて、1時間かけて通ってバイトもしていました。

そうやって就活をしていくうちに、就職すればずっとその会社で働くかもしれない、定年が絶対あるから定年を迎えた後どうするのか、と考えるようになりました。「やりがいなんですか?やりがいなんですか?」って、めちゃくちゃOB訪問で聞くようにもなって。そこから、結局人生の目的ってなんだろうな、と思うようになりました。

研究を辞めたこととも繋がっているけど、やりたいことはやれるけど、やりたくないことはまじでできない、というのがあって。やりたいと思えないと、会社入ってもすぐやめちゃうな、くたばっちゃうなと思ったんです。

「やりがいって何?何が残る?」

色んな人に聞いて、その時は理解できるけど、後で自分に置き換えてみた時に全部いまいちしっくりこなくて、腑に落ちなくて。

それで人生の目的を探して、普通に会社員の人、大手の人もベンチャーの人にも話を聞いてみたけど、しっくりこなかったんです。

唯一、まだ聞いていないと思ったのが、会社員じゃない人、自分でなにか運営している人。そういう人を探していたタイミングで、希望光教会で牧師をしていた方と出会うようになりました。

宗教に対するイメージは最悪、でも聖書を学んでみた


牧師さんから、「人生の目的は、結局一つだけだ」という話を聞きました。もともと僕は、それぞれあっていいじゃん、多種多様、多様性の時代だよね、と思っていた。だから、みんな一つの目的に向かってるという話をされたときに、意味が分からなくて。

そんなことあるか?と思ったことを、衝撃的に覚えています。

それでも、教会の人たちの姿や、話していることを信頼はしていたから、よく分からないけど聖書の話も聞いてみよう、と聞いてみたんです。最初は、ぽかーんとしてましたけど(笑)。

元々、宗教観が最悪だったので、聖書について教えてもらいながら、あら捜ししてたんですよ。親が宗教ダメで、宗教系の学校も遠ざけていたぐらい。だから、聖書や宗教に最初は悪い印象を持っていて、本当かなと確かめながら聞いていました。

態度は良くなかったと思うけど、しっかり聞こうという意識はありましたね。隣で一緒に聞いていた子は、だいたい寝てたけど、僕は聞こうと(笑)。

小学生の頃、ふとした時にベットに横たわって、この世界なんだろうなーと思ったことがあったんです。心の奥底にあったものが、就活で顕在したんですよね。

やっても死んでしまったら何も残らないのに、やっても意味あるのかな。でも自分のなかでは頑張らないと。頑張らなきゃいけないけど、残らないならやりたくないから、何かやりがいを求めていて。色んな大人に聞いてみたけど何も得られない。

でも、牧師さんは、めっちゃ確信を持っているから、聞いてみようと思ったんです。間違っていたら離れればいいし、聞いて悪いことをされるわけではないから、聞こうと。八王子から、当時教会があった世田谷まで学びに来ていました。学校からは1時間なので、そんなに遠くはないですよ。帰りは家まで2時間ですけど。全然苦にならなかったですね。

実は八王子にもキリスト教福音宣教会の教会があったということは、後で行く機会があって知りました。天運教会をGoogleマップで見た時に、めっちゃ見たことある景色だなと思いました(笑)。

この笑顔まじで、「愛」だな


僕が希望光教会の礼拝に初めて参加したのは、2020年4月。コロナ禍だったので教会は使ってなくて、自宅や、数人だけ家で集まってオンラインで御言葉を聞いていました。その時は、主日も水曜も明け方も、鄭明析先生(キリスト教福音宣教会の創設者、チョン・ミョンソク牧師)が生中継で伝えてくれていました。

先生の印象は、すごくみんなに慕われている人だと思いました。僕の中での宗教観って、トップがめっちゃ権威があって、みんなが妄信的に付いて行くというイメージ。慕うとかじゃなくて、付いて行く。

それもあったからこそ、礼拝の最初に賛美の指揮をされているのを、一緒にいた教会メンバーが、付いて行くとかじゃなくて、喜んで迎えている姿を感じて。本当に慕われている人なんだなと。なんか、この人がトップで良かったなと思いました。

もし、崇められて恐れられて、周りの人たちも演技みたいになっていたとしたら、絶対引いたんですけど。みんなが自然に拍手したり聞いてたりしたので、あ、良かったなと。

教会に通って1年くらいたった時に、チョン・ミョンソク牧師が初めて日本に来た時の映像を見る機会がありました。先生が空港のエスカレーターを上っている時の、めっちゃ笑顔の写真を見て、「この笑顔できる人いなくない?」と思ったんです。まじで全ての人々を愛している先生、その人じゃないと、あの笑顔は出てこないなと。作っていないし、僕はそういうのを感じ取っちゃう人なんですけど、違和感とか不自然さとか無くて。この笑顔まじで、神様の愛、イエス様の愛を体現した人だと感じました。

教会で始めたサッカーで起こした、奇跡


教会での思い出、たくさんあるんですけど、教会のチームで参加したサッカー大会のことが印象に残っています。

僕は小学校から大学までずっとテニスをやってきて、サッカーは初心者なんですけど、その大会では不足していたポジションのゴールキーパーをしました。キーパーは、プロの試合を見て頭で動きをイメージしていたことがあっただけで、やるのは初めてでした。

チームは順調に勝利して、決勝戦に進出しました。普通は決勝戦まで行ったら、競技経験者が出るじゃないですか。競技未経験で出ていたのは、僕1人だけでした。初めてのキーパーで決勝戦まで出場なんて中々無いことですが、延長戦になっても決着が付かなくて、最後PK戦になったんです。

最後にフィールドにいた選手が順番にPKを蹴るのですが、まぁ3人くらいで決まるかなと思って見てました。8人制だったので、僕が蹴るとしても8番目。なので、まあ見ていればいいかなと。そしたら5人蹴っても決まらなくて、あれ、ちょっと待てよ、あれ?と思っているうちに、もしかして僕も蹴ることになるんじゃないか?って状況になってきて。

先攻が決めたら後攻が決めるし、外したら外す。その繰り返しで6人目も7人目も決まらず、結局、8人目の僕まで回ってきてしまったんです。

その時、過去にPKで失敗した高校体育での記憶がよぎったのですが、直ぐに消えました。教会に通って、神様の御言葉で学んで実践して得た精神で、消極的になるよりはやろう、蹴るとなったら蹴ろう。周りはあまり見えていなくて、そこだけに集中して、やろうと決めて蹴ったんです。

聖書を学ぶ前の自分だったら、絶対蹴りたくなかった。しょうがないから蹴ろうみたいな感じで蹴って、まあどうせ入らないよねと、止められても、初心者だし責められることはないよな、って感じで勝手に開き直って終わっていたと思います。超嫌な奴ですよね(笑)。

決心して蹴ってみたら、相手のキーパーが手を伸ばしたところに、ちょっと当たったけど、なんとギリギリ入ったんです。そして、PK戦は2周目に突入しました。

ところが2周目のPK戦も決着が付かない。途中で会場の予約時間がギリギリでやばい、早く終わらせなきゃいけない、となって、主審がゴールまでの距離を伸ばしたんです。ずっとゴールが入り続けるから、少し難易度を上げたわけです。

そしたら今度は、互いのチームでゴールが全く入らなくなった。そんな緊迫する状況の中、また僕の順番が回ってきました。

その時も、前向きな精神だけはずっと変わっていませんでした。周りの声もやはり聞こえていなくて、とにかくまた思い切り蹴ろうと。

そしたら驚くことに、今度もゴールを決めることができたんです。相手のキーパーは動けていなかったみたいですが、それも覚えていないくらいの極限状態でした。僕が蹴った直後、3周目の1人目で決着が付き、僕たちのチームが優勝しました!

あとで振り返りの時間を持った時に、チームメイトが「初心者があの場面で2本決めるなんて、あり得ない。明らかに人の力では無いもの、神様の存在を感じた」と話してくれて、その時に神様が共にされていたのだということに気が付きました。鈍感なタイプなので、あまり分かってなかったんですけど、そうやって後で振り返って感動して、ちょっと涙が出ました。

極限状態ではあったけど、凌駕するぐらいの平静を保てていました。教会で、神様の精神とは何か、生活の中でどう実践するのかを学んだからこそ、僕も今回の試合に勝利できたと感じましたし、自分の中で大きな変化・成長を感じる機会になりました。

今は生きているだけで幸せ


これからも神様を信じるからこそ残る、一生の思い出をたくさん作っていきたいです!

また、頑張っているけれど虚しさを感じていた、過去の自分のような人が他にも必ずいると思っています。そんな人の助けになれるように活動していきたいです。

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