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心がずっと熱いことの理由

 あれれ、おかしいな。1月は修士論文に追われて、文章を書いている暇なんてないと思ってたんだけどな。結局、毎日のように文章を書いている。noteに投稿するには至らなくても、紙のノートやGoogleドキュメントに毎日書いている。

 書く時間を捻出するために、いろんなもの(例えばYouTube)をやめたりした。生活習慣を整えて、修士論文に集中して取り組み、書くための時間を何とかしてつくろうともした。

 

 自分にとって、書くことは、それぐらい大事なものだったんだ。「せっかくこんなに打ち込めるものを見つけたんだ、手放したくない」というきもち。周りからすれば、なぜそこまでして書くことにエネルギーを費やすのか、理解されないかもしれない。
 

 あるいは、こっけいに映るのかもしれない。仕事として書いているわけでもないし、何かご褒美がもらえるわけでもない。正直言って、書く必要はない。あ、ごめん。よく読んでくださる読者さまがいた。その方々にとっては、意味があることでしたね。

 


 自分でも不思議なきもちだ。何が自分をここまで、引っ張ってくれたんだろうか。ここまでモチベーションを保って続けられたことは、書くこと以外に、ついぞなかった。書く時間をつくるために、苦しいことも我慢できるし、やらなければいけないことも何とか頑張って終わらせる。書くことは、そのぐらい、自分の中心にあるものだった。読者からの反応がどうこう以前に、書くことそれ自体がたまらなく好きなのだ。


 自分の好きな畑で食べていけるのが理想だけど、別にそれが叶わなくたっていい。書くことだけで食べていけるのなんて、本当に一握りの人たちだけだ。自分の文章が仮にもしその域に達したのなら、その時にはありがたく、その幸せを享受すれば良いだけの話。趣味の範疇だけで終わっても、全然かまわないと思っている。

 ずっと書き続けて何も成果が出なかったとしても、僕はこれからもずっと書き続けるだろうな。何度も言うけど、書くことそれ自体がたのしい。どんなに忙しくても、どれだけ絶望的な状況に追い込まれていても、文章を書いていると思う。未来がどうなっているか全然わからないけど、それだけはわかっている。


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