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長崎の軍事遺構巡りと街歩き  〜西町周辺の軍事遺構①〜

はじめに

 長崎は1945年8月9日原爆が投下されました。私は小学校からずっと平和教育を受けてきましたので、原子爆弾の恐ろしさ、悲惨さ、おぞましさを感じながら学んでいたと思います。そのことは、非常に大事なことですが、ネガティブな要素が大きすぎて若いときには目を背いてきたと思います。歴史は好きで、小さいときから古今東西の書物を読んでいたのですが、昭和史戦争関係の書物を本格的に読み出したのは30代以降でした。
 
 先日若松区で偶然軍事遺構を見る機会がありました。実際見に行くと思った以上に感動するものだと感じました。

1 福岡探検倶楽部での体験で感じた実際に調べる喜び


みえちゃんねる さんのyoutube「福岡探検倶楽部」に参加してきました。
さまざまなジャンル、しかも毎日アップしています。おすすめです。

この経験は私にとって大きな刺激になりました。長崎は原子爆弾で広い地域が壊滅してしまったので、原爆以前の施設や史跡がほぼ残っていません。基礎部分も復興開発や観光地化でほぼ消滅しています。そういった事もあって、長崎市内の史跡巡りはせいぜい街道を歩きながら当時の地形を想像したり、図書館の資料や地図を見比べるくらいでしたが、今回のDEEPな体験とマニアックな方々に刺激を受けて、マニアックな探索に寄せてみようかなと、このブログをスタートしました。

 しかし、長崎での旧市街地以外は出回っている資料は少ないです。私自身は戦争以前の長崎の歴史に興味がありますがなかなか興味を引くものが見つかりません。ですが真剣に探せば出てくるものです。

最近見つかったそうです。とても貴重な資料です。映像で医科大学が映ってあります。立派でモダンな建物です。しかし、今ではこういったものは破壊され尽くして現存するものはほぼ皆無。

2 「復元!被爆直前の長崎」の地図がスゴイ!

 ここでこの書物が威力を発揮します。
「復元!被爆直前の長崎」この本は原爆以降でなく「以前」にスポットを当てています。被爆直前に存在していた施設や店舗が詳細に書かれています。また、当時の地名が小字まで記載されているだけでなく、川、道、地図記号までも書かれています。(しかもうっすら現在の道や施設も書かれており照合もしやすい)この本は原爆以前の「本当の長崎」を知ることができるスゴイ本です。とにかく情報量がスゴイです。
 今までは地図を読んでうっとりしていただけだったのですが、地図上の痕跡を探すことができるかもしれません。(昔の城跡なんかも乗っているのでそういうのも探せますし)
 ということで、この本を使って探索をはじめます。

江戸以降の知られざる長崎満載です

3 西町を中心に探索 どんな遺構があるのか・・・

このエリアを探索します。
地図左下側の航空地図

西町周辺を探索
市街地からやや奥まったところにあり、あまり注目されていないエリアで、実際全く注目していなかっただけに資料をよむと興味深いです。

① 長崎医科大学射撃場 
 長さ約600メートル幅50メートルの広大な平地が射撃場として存在していた。高校生時代たまに学校から山道を下って利用していた通りが射撃場あとだったとは・・・。長崎は坂道が多く、当時は道も狭かったので、下校で降る場合はこの山道で下ったほうがかなりのショートカットになるので、たまにこの道を通っていたのだ。かつての長崎北高生だったら聞いたことがあるかもしれない。今は車道が完成しており、わざわざ山道を利用するものなどいないだろうが。
 ただ山道だし、結構な距離があるのでたまに使う程度。周りの風景などに目を留めたこともなかった。改めて見ると、平地が殆ど無い長崎で埋め立て以外でこのような地形はかなり珍しい。複数の川が合わさる地点なのでもともとは緩やかな谷地だったのか?(字も「谷」「尾」が多い)もともとは水田だったらしいから地ならしをして平地にしたのだろうか?(ちなみに射撃場の小字が「貝所」だった。歩きながら、かつて沼地、あるいは池があったのではないか?と考えていたのですが沼や池だったかも知れません。)
 現在ではそのエリアが、集合住宅、大学の施設になっている。航空写真で見れば、明らかになにかの施設跡だとわかる。

② 三菱兵器西郷寮
 これも初めて知った。三菱兵器の工場に動員された学生寮がここにあったとは。主に第七高等学校(現鹿児島大学)伊万里商業学校(現伊万里商業高校)など九州各地の学生が動員されたらしい。かなり広い敷地で20棟くらいあったとのこと。なにかゆかりのものかないか検証していきたい。今は長崎拘置支所、公園になっているらしい。土地勘がないのでゆっくり探そう。

③ 油木照空隊陣地 
 射撃場跡地から南下すると「油木照空隊陣地跡」がある。藪になっているようなので、放置されているっぽい。サーチライトの土台の形も航空地図では分かるので基礎部分があるということだろう。しかし、目視できる状態か?浦上地区や市街地、山頂も軍事遺構はほぼ撤去されているので、このような形で残っているのはかなりめずらしいのではなかろうか?道も昔のままになっているようだ。藪が深ければ、季節をずらして再チャレンジも可能か?さらに、射撃場と陣地の間に調理場もあったので痕跡がないか探してみよう。

4 探索開始 照空隊陣地を目指して、緑中への険しい坂道を昇る。

古いがまだ現役のようだ


射撃場跡地(東側)を起点に緑ヶ丘中へ。ひときわ古い建物群があった。復興期あたりのものだろうか。川沿いを西町小学校へ進み、左折し緑ヶ丘中へ向け急な階段を昇る。

今は寂しい通りだが…
緑が丘中学校

 今ではすっかり生徒数が減ったようだが私が中学生の時はマンモス中だった。しかし、交通アクセスが非常に悪い。斜面に這うように校舎が立っている。今歩いているこの狭い階段もかつては多くの生徒がいきかう賑やかな通りだったのかもしれない。この通りは初めてだったので、緑ヶ丘中と西町小が距離としてはかなり近いということに驚いた。
 


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