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3才と過ごすキャンプで

子どもの抱っこの仕方がわからない。わからないことはないだろうと思ってはいるものの、いざ「抱っこしてみる?」なんて言われたらやっぱりドギマギしてしまう。特に赤んぼうは(そんな機会滅多にないが)無防備すぎて触れるのさえチョンっくらいだし、少し大きくなった3~4才の子でも両脇の下に手を入れてちょっと持ち上げる以外浮かばない。"抱っこ"なんて言葉を使うのもおこがましいですね、これは持ち上げただけです。

キャンプフェスと、3才のお漏らしと、22才の抱っこ克服の話。

大人4人、3才の子1人でキャンプフェス。大人といっても私を含め3人は新社会人なりたてほやほやくらいの年齢で、3才の息子(以下「ムスコ」)を連れてきたのが私たちの兄貴分的な先輩だった。

初めてのキャンプフェスに完全に浮かれていた大人の私たちはステージのタイムテーブルや出店しているブースの詳細や参加したいイベントなど、早く着いて早く設営して早くキャンプフェスという未開の幸福を味わおうとしていた。

良い子のみんな!まずは会場のルールやマナーについて予習して前もって準備しておこうねと、無事帰宅して、こうして文字を打っている今思う。

一度入場をすると明日のチェックアウトまで車をキャンプ場から出せないというルールらしい。私たちは無事会場に着いたものの、食料の買い出しする前に入場ゲートを通過し会場へ入ってしまった。感染諸対策の取り組みで1組ずつちゃんと検温や個人情報の入力などを行っていて入場口は渋滞していたため、引き返すこともできなかった。スタッフの方に無理を言って、私たち3人とムスコをキャンプ場にとりあえずポンっとおろして、運転手のパパは買い出しをするため会場の外へ出た。

今思えば、この時に何か荷物を下ろしていれば先にテントを立てることも風が寒い時に上着を羽織ることもできたなと思う。

そんなこんなで、眠気と若干の人見知りの発動で出発から4時間弱ほぼ寝ていたムスコは、某キャンプフェス会場につくやいなやパパと別行動、ほぼ大学生の私たちと一緒に過ごすことになった。

知り合いのキャンパーが場所取りをしてくれていたおかげで、奇跡的にものの数分でキャンプサイトの寝床確保完了。早速手持ち無沙汰になった私たちは、ムスコを連れて音楽ステージを見にいった。私たちがフェス感を味わいたかったのもあるし、ムスコが少し寒そうだったから吹きさらしのキャンプサイトではなくてステージ付近の風除けが多いところの方が良さそう、と思ったのもある。ステージで演奏していたのはピアノとドラムの二人組、気持ちよく演奏するお姉さんはとにかくパワフルでハッピーでエネルギッシュ。こういうの好き!と勝手に体が音に弾む。友人の足の間に隣にちょこんと座っていたムスコは表情に何か現れるわけではなかったけれど、じっとステージの上のピアノのお姉さんをみていて、小さな足でとんとんリズムをとっていた。ああなんだかすごく嬉しい。ただ一緒にその空間にいるだけで、通じ合えることが起きているような気がした。楽しいね、こういうのいいね。

ピアノがゆったり落ち着いてきた頃、ムスコがあっちに行きたい、と場所取りしたキャンプサイトエリアのほうを指さしたので、私たちはムスコを連れてサイトへ戻ることにした。

戻ってから、なぜ私が1人でムスコのことを見ていたのかは覚えていない。

突然、ムスコが「トイレ!漏れちゃう!トイレ!行きたい!」と走り出した。ムスコはその時トイレの場所なんて分かっていなかったけれど、衝動に駆られてどこかのトイレに向かって走っていた。

ふむ、トイレ。

その瞬間は全然トイレイベントを深刻に思っておらず、ステージエリアの脇にあった仮設トイレの場所もしっかり把握していたし、とりあえずムスコが転ばないように手を繋いでトイレに連れて行けばいいと思っていた。しかし一緒に走っているうちに、あれ、こういう時って私がズボン下ろしてあげるのかなとか、ムスコはひとりでどこまでトイレというものができるんだろうとか、洋式の便器って大きいし座らせたらお尻はまっちゃうのでは?とか、でも男の子って立ってトイレするのかなとか、私もパニックになってきた。おしっこしたくてしたくてたまらないムスコ3才と、おしっこのさせ方はわからないけどトイレに行くところまでは伴走します!テンションの22才は、とにかく走った。トイレまでの距離は大したことはないけれど、地面がぬかるんでいたり水溜りだったり、トイレを我慢している人にとっては気が散るピッチコンディションだった。

ぬかるみを超えて見えた仮設トイレは女子トイレ、男子トイレ、共用トイレと立ち並ぶ。悩む暇などなく、一番近くにあった空きの女子トイレのドアノブをひねった。ムスコの背中を押す、と。

そこは、和式だった。

「ああっううっあ、」

「も、もらしちゃった、もらしちゃった、
うあああああああああああああああああああーーーー!!!!!」

ムスコは間に合わなかった。

ズボンは湿りだし、足をつたい、ものの数秒で靴下も靴も浸水した。ムスコは間に合わなかったショックなのか、濡れていく気持ち悪さなのか、その両方か、泣き叫んでいた。仮設トイレのドアに手をかけ半身だけ中に入ってムスコの背中に手を添えている(つまりドアは空いている)いる状態の私が、ムスコにとってその瞬間誰より頼るしかない"大人"だった。

どうする。

着替えはパパの車の中で、パパはしばらく帰ってこない。持ち物は現金の入っていない財布と携帯。現金がないから屋台で服も買えない。友人はテントの場所取りで徒歩3分の位置。音楽ステージのすぐ近くで親子も多いからママさんに声をかけて着替えを借りるか、でも泣いているこの子を置いてどこかに行くわけにはいかない。とりあえず友人に電話をかけ、その辺の屋台でいらなそうな布をもらってきてくれという無茶振りとともに、仮設トイレにすぐ来てくれとSOSを出した。濡れてて気持ち悪いだろうから脱がせたいけど、仮設トイレを出たとしてどこへ連れて行く?

泣いているムスコに私が今できることって、なに。

なんて声をかけたらいい?大丈夫だからね、平気だよ、ブザービートならずだね、漏らしちゃったね、濡れて気持ち悪いよね、とにかく思いつくことをペラペラとムスコの肩を抱いて頭を撫でながら言ってみたけれど、全部的外れに思えた。そんな言葉より、何よりムスコは着替えたいしここから出たいし、パパに会いたい。

そんなこんなで友人が到着、すぐに状況を把握して屋台へ走っていった。私は相変わらず何も解決につながらない声かけをしていて、頭の中が真っ白になっていた。

それから何分経ったかわからない。

裂けるような泣き声を聞いて、通りかかったママさんが声をかけてくれた。状況を説明したら、タオルを貸してくれた。この子の両親は今近くにいないと伝えたら、あなたママじゃないのね!と私の代わりにムスコの腰にそのタオルを巻いて、ムスコを抱っこしようとした。その時、ムスコはそのママさんではなく私に手を伸ばし、私に抱っこを求めた。

こんなにあなたに対して何もできない私に、なんで手を伸ばせるの。

両脇に手を入れて、ぎゅっと抱っこした。たぶん持ち上げただけの例の持ち方だけど、ムスコをちゃんと抱きかかえた。たくさん泣いてたムスコは相変わらず私の耳元でも泣いてるけど、とりあえずしっかり一緒にあの仮設トイレから抜け出すことができた。

その後は友人にムスコを手渡し、コインシャワーにムスコを連れて行って脱がせ、濡れてしまった靴や衣類は洗って干した。パパが来るまで腰にタオルを巻いて、あったかい建物の中でムスコは友人とyoutubeを観て過ごしていた。しばらくして、買い出しを終えたパパが帰ってきた。

パパの車には、ムスコのパンツがたくさん積まれていた。くぅ。

いまだにあの時なんで手を伸ばしてくれたんだろうってずーっと考えている。深い意味なんてないだろうあの手が、抱っこの仕方わからないなんて思っていた自分の心にガツンときた。そりゃ、抱っこの仕方もわからないし、トイレのさせ方もわからなかったし、もっといえばこの子とどう接したらいいのかわからなかったけど。同じようにムスコも、パパママ以外の知らない大人に囲まれて、トイレは行けるタイミングで!みたいな感覚もきっとまだなく、和式だって人生初だったかもしれないし、漏らしてしまったのも一番どうしていいのかわからずパニックだったのはムスコだったはずで。

ムスコのお漏らしが4000字弱に及ぶ長作になってしまうくらい、あの手が忘れられない。

ここまで書いてもあの時ムスコに感じた気持ちがうまく言葉にできないの本当にもどかしくて4000字の無駄遣いなんじゃないかってここまで書いて思ってるけど、いつかムスコが大きくなった時にこの話を読んでもらって、一緒に考えたらああそうなのかなあって思う何かがわかるかもしれないしわからないかもしれない。

無理矢理まとめるエンディング、いろんな優しい人に手を貸してもらって助けてもらって、なんとかなって本当よかった。どうなることかと思ったけど明けない夜はないって歌詞が初めて身に染みた、明けない夜はないです。大丈夫。

大人たちはどっと疲れてその日はしっかり眠れました。あなたのおかげで、相変わらず抱っこうまくできないけど抱っこ自体は怖くなくなったよ。あなたもちゃんと泣き止んでちゃんと打ち解けて、その後まるっと次の日の帰り道まで楽しそうでよかったよ。楽しかったって言ってくれて、もうそれだけで強めのハプニングもオールオッケー、またキャンプ行こうね。



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眠れない夜に

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