蔓延
特に閉鎖的な空間で争いが生まれたとき、わたしがすべきことはなんだろう
正義感を持ち合わせたいと思う反面
歳を重ね争い感情をぶつけてることに疲れてしまう
諦めることを知ってしまった。
これは多数の人が抱えているものなのでは、と考えているため欲のままに怒ったり、他人に感情をぶつけられる人はシンプルにエネルギーがすごい。
電車は最も罵声が聞こえる場所なのではと思う。
あの、至近距離で他人が怒鳴られているシーンを見るのは快いものでは全くない。
辛い、泣きたくなる、心臓がぎゅっとして、どうしようもない気持ちに苛まれる。
救う以前に自分のこころが蝕まれていく。
間違っていることに対して、守るべきものがある時にわたしの正義感は特に発生する訳だが
怒っている人への耐性がない。
人に寄り添えること、傾聴力があることが長所である自分でも怒りの感情を持つ人にはほっておくという手段を取ることが多い
お店へのクレームは何に対してという部分が見えるため非を認めて謝ることが最善だと対処できるが
怒りを持つ人の正義があってそれは簡単に
変えられるものではない
もしその標的が自分だったら、
みんなが注目するなかで対象とされた人の発言は
大変注目されるものである。
ゆらりゆれるあの時間はすきなのに
やっぱり電車はイヤだ
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