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「人生はゲーム」をいま体感している。

「人生はゲーム」
初めて聞いたとき、その言葉の意味するところが正直よく分からなかった。
でも、最近は「やっぱりそうなのかも」と思い始めている。

与えられたプレイ時間はおよそ80年。
小さな肉体をまとい、それぞれにルール(制限)が課せられており、持っている武器もお金も能力も様々。周囲に家族や仲間がいる人。いない人。
子供時代は割と同じようなところにとどまっていた集団も、10代後半あたりから道は分かれ、バラバラに進んでいく。1人で進む人、仲間で進む人。

人との出会いや別れのなかで、それぞれの課題をクリアーしながら、最終的にはみな「自由(本来の自分)」というゴールへ向かう。

実はゴールへ到達する人はほんのわずかで、ほとんどが時間切れで達成できないから再挑戦。何度もプレイを繰り返す(輪廻転生)。

そう、私たちはいまゲームの真っ最中。
今世でのゴールは難しい、と自分では自覚しているけれど、今現在、私の目の前に差し出された課題には気が付いている。
(気づかないふりをして過ごしたいけれど、もう無理っぽい)

私が取り組むべき課題、
それは「与える」ということ。

「自分は完璧でないから」
「まだうまく出来ないから」
そう言って自分だけの小さな世界に逃げ込まないこと。(過去にそうやって何度も逃げてきたからよく分かる。)

そもそも私たちは既に完璧な存在であることを思い出し、自分をよく見せたい欲求(エゴ)を手放すこと。

「自分なんてまだまだ」と中途半端に感じていても、それでも勇気を出して必要な人の為に世に出すこと。そしていつか訪れる誰かの為にその扉を開け続けておくこと。

そういうゲーム展開のようだ。

おそらくここで逃げても、また同じ課題は形を変えて何度でもやってくるだろうから、そろそろやってみるか~と動いてみた。
まずはひっそりとヨガ教室をオープン。

なぜひっそりなのかはさておき、誰も来ないだろうとのんびりしていたら、お問い合わせがあり実はちょっと焦ったりもしている。

本業とか、副業とか、そういうことではなくて、これは私自身の人生の課題だから仕方がない。会社で聞かれたらそう答えるしかないと思っている。

でも、思ったよりも力は入っていないのかも。出来る気もしないけれど、出来ない気もしない。そんな感じ。
あくまでも、どこまで本来の私自身を出すことができるのかという課題であって、それは能動的に「なにかを与える」ということではなく、与えるのはあくまでも「場」であって、「そこに生まれたものを共に感じる」と言ったほうが感覚的には近いのかもしれない。

まあ、つまりは「私のカルマヨーガ」であり、「どれだけ自分を信じられるのか」ということなのだろう。
人生っておもしろい。
うん、やっぱり人生はゲームだ。

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