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『敵は、本能寺にあり!』 第三十二話『ときは今あめが下知る……』

 流れ始めた和やかな空気をつんざく様に、「口に出すのもはばかられますが――」と、利三としみつが色を正して発する。

「――光秀様に忠告して下さった誠仁さねひと親王、さらには正親町おおぎまち天皇が裏で糸を引いておられる事はないでしょうか。昨年の京都御馬揃えでは(軍事パレード)『天皇への威嚇が過ぎた』と、朝廷がこぼしたなどの噂も。統括されたのは光秀様。もしやと……」
正気の沙汰とは思えぬ彼の発言を、左馬助さまのすけは耳に届くか否か程の声で打ち消す。

「京都御馬揃えを御所望なされたのは陛下御本人ですぞ。大いに喜んでおられたではありませぬか。陛下の権威と信長様の財力は切っても切れぬ強固な関係……。伝統や規範を重んじ、物事を冷静かつ論理的に考え行動される聡明な陛下と殿下が、人を裏切るような事など有り得ませぬ」
左馬助が同意を求めるべく光秀に視線をると、主君は絶望の淵のような顔で唇を噛み締めていた。異様な佇まいに二人も気付き、皆固唾を呑む。

「陛下は人に誠実であられるがゆえ、相手にも等しく誠意を求められる。信長様にそれが欠けていたとしたら……。
実はな、陛下から信長様に譲位の意向が伝えられておったんじゃ。朝廷の衰退や資金難により古来より慣例であった譲位の費用が捻出できず、久しく譲位が行われぬまま天皇が崩御ほうぎょされておる現状。正親町おおぎまち天皇に至っては、即位の際も資金不足で延期となられた過去がおありじゃ。そこで此度こたびは信長様を頼りにされた。一度は受けられた信長様であるが『武田征伐で金銭が不足しておるゆえ、待って頂きたい』と、この間……」

 人の心の奥深くまで潜り込み推し量る伝五でんごは、誰も彼もを想い、流石に沈鬱。れど彼は口から出任せにでも、何とか否定の言葉を探す。
「陛下も流石に機を見ておられるでしょう。民の平穏な暮らしが第一なのですから。これまでも信長様の援助で、皇居の修理、神宮や朝儀の復興も行えた。二条新御所も誠仁さねひと親王へ献上するためにと改修を終えたばかり。誠意を欠いたとは思えませぬ……」

 だが其れも虚しく、利三が一蹴。
「しかし、一度は受けておいて待ってくれというのは、誠意を欠いておると取られても仕方がないですぞ……」

 幾ら談論を続けようとも見えてこぬ敵に、彼らの夜は深く深く更け渡る――。

 ◇

 ―本能寺の変、二ヶ月前―

 光秀の寝顔を眺めながら、信長は煙管キセルくゆらせる。
額に掛かる髪を指先で優しく直すと、光秀の眉がピクリと上がった。何事も無かったかのように外方そっぽを向き、結局気になり視線を戻すと、微睡まどろむ光秀のまなこと交錯する。

「この先何が起きようと、私を信じてくださりますか……」

「無論」
信長が間髪を入れず返した事で、光秀に纏わり付く迷いが消えた。

「実は、何者かの陰謀に巻き込まれたやも知れず……。私が謀反の存分を雑談したという噂。利三としみつが信長様討伐の談合に参加したとも……」

「フッ――馬鹿げた話じゃ。気にしておるのか」
信長は煙管キセルに燃え残った葉をトントンと落としながら笑った。

「噂だけなら良いのですが、万が一、信長様の御命が狙われてはと……。落ちぶれ瓦礫の身の上であった私を取り立て、あまつさえ莫大な軍勢をお預け下さった。信長様には返し尽くせぬ御恩がございます。
恐れながら、お聞き願いたき儀が――。是より暫くの間、黒幕を炙り出すため私と不仲を演じてはくれませぬか」

 ◇

 時が来たりて、丹波亀山城におどろきし叫号きょうごう――。

「敵は、本能寺にあり!」

 紅掛空色べにかけそらいろの下、本能寺――。
揚羽蝶紋があしらわれた黒天鵞絨黒ビロード陣羽織マントをたなびかせ、信長は黒蝶のように独り舞い踊る。
そして華やかな愛刀 “実休光忠じっきゅうみつただ”を眼光鋭く振り上げ、勢いよく――。刃先が首元で止まった。

 何処からともなく現れた蝶の群れに囲まれ、力が抜けた信長の腕から刀が落ちる。そして蝶の壁の向こうに立つ玲瓏れいろうたる青年を、凝視――。

鳳蝶あげは――! これは今際いまわきわの幻か……」
甲賀こうかの術を跳ね除ける程の気魄きはく――。

「父上――、私を……?」
鳳蝶あげははよもや信じられぬといった表情で立ち尽くす。
「見紛う訳がない。その目は帰蝶に瓜二つじゃ。やはり鼻はわしに似ておるのう……」
信長は瞳を潤ませ、一歩、また一歩と、忘れえぬ愛し子に歩み寄る。

「信じて頂けなかった時は、こちらをお見せしようと――」
鳳蝶あげはは懐から手彫りの印を取り出し、信長に差し出した。

「あぁ、この揚羽蝶紋には何度も助けられた。
礼を言う。――――。
鳳蝶あげは……、いつまでも迎えに行けず悪かった……。――わしは。お前を失うのが怖く……、故に……」

「父上――。苦しみ、悶え、嘆き、れど諦めず、世の為、民の為と試練に立ち向かう父上を、私は遠くからずっと見て参りました。決して、私は父上に謬見びゅうけんを抱いたりはしておりませぬ。寂しくとも……この三輪の花のように、いつも夢幻の世では、父上と母上がそばにいてくださいましたから」
鳳蝶あげはは純粋無垢な目で、信長に微笑みかける。其の瞳が余りに眩し過ぎて、信長は愛を込め彫られた“芹葉黄連セリバオウレン”の花に視線を落とす。

鳳蝶あげは、この花の名を知っておるか?」

「はい、母上から……」

「帰蝶から――? 成る程、帰蝶の網は鳳蝶あげはであったか」
言葉少なに信長は全てを悟った。

「母上に頼まれ、助けに参りました。此処もじきに火の手が――」

「有り難き幸せじゃ……。しかし、わしは役目を果たさねばならぬ!」
信長は顔つきを変え、刀を拾い上げる。しかし鳳蝶あげはは信長の腕を掴み、力強く引っ張った。

「光秀様がお待ちです。『最後にもう一度、此の光秀を信じて下さいませ』と」

「光秀が……。ならば、是非に及ばず――」



“本能寺の変”には『黒幕』がいた――。
この作品は史実を基にしたフィクションであり、作者の妄想が多分に含まれます。何卒ご容赦頂けますと幸いです。

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