『メタバース不倫』 Anh.24『乾杯の歌』
―第7場―
『崩壊と消散の中枢』
―2022.3.14 37歳―
「“フォルスストロベリー”……。聞いた事ないですね」
純麗子の返答に敬三はあからさまに残念そうな顔を見せた。
「そっか。純麗子さんなら仕事柄何か情報を持ってるかなって思ったんだけどなぁ。
父はね、疾うに医師としての座は退いてるけど、優秀な脳神経外科医だった。
祖父が終戦10年目に設立した小さな病院を、二代目の父がセレブリティに改革し、有名病院に名を連ねるようになった事ばかりが注目されるけどね……。でもそれもあって、人脈は広い方だと思う。
そんな父が最近、脳外科界隈で噂されてる奇怪しな話を聞いてきたんだ。
クラウド上にバックアップする為に、脳の情報をデジタル化する医師がいると――。
そしてその情報を引き継いだアバターを、通称“フォルスストロベリー”と呼ぶらしい」
「確かに『デジタル化した脳の情報をクラウド上にバックアップし、アバターに情報を引き継ぐ技術が水面下で確立している』という噂はあります。
しかし、現実世界で亡くなってしまってもネットワーク上で生き続けることが可能になる為、倫理上まだ公にはされていないんだとか。
法整備が必要な課題ですし、これ以上先へ進む事は、この国では難しいのでは?」
「でも既に、闇で施術してる医師がいる……。
『秘密結社ラビュリント』が組織する『エリアト・リプルⅥ研究所』が母体となり進めている計画らしい」
より一層真剣な眼差しで訴える敬三に、純麗子は戸惑いながらも否定の言葉を口にする。
「それはさすがに都市伝説かと……。陰謀論者がよく口にする組織名ですね。レプティリアンやチタウリと呼ばれる者達が所属してるんでしたっけ?私は信じてませんが」
「ああ、確かに都市伝説だ。俺も現実世界にそんな組織は無いと思ってる。
でも世界最大のメタバースプラットフォーム
『Snow Crash』が提供する“Virtual-Earth”の中には存在してる。
ある認証用非代替性トークンを持つ者だけが参加できる分散型自律組織の名が『秘密結社ラビュリント』、そしてプロジェクトネームが『エリアト・リプルⅥ研究所』だと父は言っていた」
「認証用NFTを持つ者……」
彼女は段々と奇想天外な話に興味が湧き始めたようだ。
「そう。そのNFTアートは『Snow Crash』のアイコン画像に設定でき、苺を模したフレームの中に、ヒト型爬虫類のキャラクターがデザインされているらしいんだ」
「うーん、見た事ないですね。そもそも『Snow Crash』のアイコン画像なんて見ないですよ。みんなが見てるのは“Virtual-Earth”のアバターの方だと思います」
「まぁ結局“レプティリアン・ヒューマノイド”のNFTをアイコンにしている人はいないかもしれない。秘匿性が高そうなDAOだし、ウォレットの中に入れてるだけじゃないかな」
「で、信じてるんですか?その話を」と核心に迫る純麗子に、敬三は二人しかいない部屋で声を落とす。
「……信じるも何も、ネタ元は厚生労働省のお偉方だからね。その認証用NFTの入手方法だってほとんど知られてないし、知った所で相当な金額らしい。つまりそれなりに財力と情報を持つ者だけが集まってるわけ。法の網なんて簡単にすり抜けられるよ。
技術と権力が揃えば、それはもう不可能じゃない」
「正論ですね……。ネットワーク上に脳の情報をコピーすることが可能になった世界で、アイデンティティとは何なのかについて今一度、深く掘り下げる必要があるのかもしれません」
「アイデンティティ。自分は自分であり、他の何者でもない――。言葉にすれば簡単だけどね。
さっきの話じゃないけどさ、繋がりとか知られるの煩わしいのは分かるよ。
門叶なんて苗字珍しいから、言わなくても『門叶病院と何か関係あんの?』って話になるでしょ」
「そうですね……、逸らかしますけど」
「母が結婚前まで客室乗務員やってたのは知ってるよね?実は、海外飛び回ってる暇があったらどうとかこうとかって、婆さんとか周りに言われて辞めたんだ。
その所為か、雪花には『家庭に入れ』とか誰も言わなかったんだけど、猛勉強してせっかくなれた薬剤師を、彼女は数年で辞めた」
「どうしてですか?……子供が出来たから?」
「それもあるけど結局さ、人間の感情で一番怖いのは、妬みや嫉みだと思うんだよ。周りと同じミスをしても『働かなくても生活できる人は、身が入らなくて当然ですよね』とか嫌味を言われるしね。
純麗子さんもそれを分かってるから、隠したいわけでしょ?
さっきだって一緒にエレベーター待ったら、高層階だって分かるから乗らなかったんじゃないの?
『門叶病院の次男坊であり大学病院准教授の妻』って知られると厄介だろうしね」
「そうかもしれません。でも元々、人間関係は希薄な方が楽な性分で。スマホの連絡先も、家族やお店くらいしか入ってません。仕事の電話も社内で済みますし、帰ってまで掛ける事もないですから」
「友達は?」
「数少ない友人とも『Snow Crash』で一応繋がってはいますが、“いいね”もしませんし、まず私は投稿もしませんし、ましてや“Virtual-Earth”で会おうなんて事にもなりませんしね」
「意外だな。美人だし、友達とか多そうなのに。じゃあ“Virtual-Earth”はあまり利用しないの?」
「仕事では毎日入り浸ってますけど」
「仕事ねぇ。俺は放蕩息子らしく一生女と遊んで暮らすよ。三代目後継者は総一郎で決まりだし、気楽なもんさ。
総一郎も譲二も幼い頃から父の背中を追いかけててさ。二人は堅苦しい所まで父に似てる。
俺は母に似てるのかな?」
「どうでしょう。さっぱりと駆け引きのない所や、自他境界がはっきりされてる所はお母様に似てらっしゃるかと」
自宅に戻った純麗子は、樹から貰ったホワイトデーのプレゼントを、胸を躍らせながら開けた。
彼が悩みに悩んで贈ってくれたのは、色んなフレーバーが楽しめるドライフルーツティーの詰め合わせ。
彼女は早速オレンジのドライフルーツティーを淹れ、爽やかな香りを楽しんだ。
純麗子は敬三の話を頭の中で整理しながらも、結納後の両家顔合わせ食事会での事を思い出していた。
彼女が門叶病院で治療を受けていた時期、敬三は婦人科腫瘍専門医の研修中だった。その指導医が純麗子の主治医だった為、彼はチームの一員として彼女の担当医をしていた。
食事の席で敬三は『あのオペは、研修医時代で一番悔しい出来事でした』と述べ、父の實や総一郎に厳しく窘められたのだが、純麗子は不快になるどころか、そんな真っ直ぐな敬三とこれから仲良くやっていけそうだと感じたのだった。
そして譲二の母 華八乃も、子供が産めない事を気に病む純麗子に対して、
『譲二と敬三は結婚すらしないと思ってましたから、純麗子さんが譲二のお嫁さんに来てくれて嬉しいわ。孫の顔は総一郎と雪花さんが見せてくれたからもう十分。何も気にしないで。将軍家でもあるまいしね』と明るく笑いを誘ったのだが、門叶家で笑ったのは敬三だけだった。
しかしそんな華八乃の言葉は純麗子の心の枷を取り払い、随分と軽くした。
そして、樹から貰った紅茶を飲む純麗子の記憶から、膨らみ続ける罪悪感と共に、何故か彼女が小さくなっていくようなイメージが脳内に流れ、私は心が焼け爛れるような奇妙な焦燥に駆られた。
この物語は、実在の人物や団体などとは一切関係ありません。作者の人生とも全く交差しない、詮索謝絶の完全なるフィクションです。
まだまだ未熟な私ですが、これからも精進します🍀サポート頂けると嬉しいです🦋宜しくお願いします🌈