居場所は、生きる場所は必ずある。

「永遠に夏休みならいいのに」と思うのは甘えなんかじゃなくて悲痛な叫びなのである。それを理解してくれる大人は少ない。子どもの生きている範囲はまだ小さいから、誰も理解してくれないと思ってしまう。

 毎年8月31日になると、9月1日に多い子どもの自殺を防止しようと大人は言う。「死ぬな、生きろ」などの言葉が飛びかう。水無月も何処かで死のうと思っている子どもの命を少しでも繋ぎ止めたいと言葉をかけたい。真剣に悩んでいる子たちに「生きろ」というのは時に酷なこともあるだろう。それでも「死なないで、生きて」と伝えたい。
 どんな言葉なら届くのだろう。

 死にたいと感じる学校に行く必要は無いと思っています。
 なぜ苦しい場所に行かなくてはならないの、と思いますし、なぜ大人は子どもを苦しませてまで学校に行かせるのか。行かないことは逃げではありません。自己防衛なのです。

 いじめが蔓延する学校など、消えてしまえばいいのにといつも感じます。でもまだ無くならない。学校への、大人への不信感は募ります。きっと子どもはもっと不信感をもっているでしょう。学校や親が信じられないのなら、ほかの人を頼って良い、頼って欲しい。

 価値のない人間なんていない。自分から価値を手放さないで欲しい。

 好きなことが無い? 友達がいない? 居場所がない?

 そんなもの求めなくたっていい。自分を大事にすることが一番。
 
自分を大事にするというのは、つらい時はつらいと声をあげて助けを求めること、自分を責めすぎないこと。
 好きなことも、友達も、居場所も、必ず存在しています。まだ気づいていない、出逢っていないだけで。かく言う水無月も小学生のころから悩んで、苦しんでいました。でも振り返ると、自分は狭い狭い世界に生きていたのだと思いました。ちゃんと理解してくれる、同じ価値観、趣味を持つ人は思いのほかいるのです。
 生きる意味がわからなくて当たり前だし、無理して探そうとしなくていい。そんな生きる意味をしっかり持っている人ばかりじゃないです。

 こうして想いを綴っても、白々しく感じられてしまうのでしょうか。でも水無月は一人でも多くの心を軽くできたらと、願わずにはいられないのです。

創作のためにサポートを使わせていただきます。さらに磨きのかかった良い作品を創れるように活かしたいと思います。