女。時々、男。のち、ユニセックス。

このマガジンでは発達障害やHSPについて書いていく。 
とりあえず、発達障害だと診断されるまでを書いた。
その次はHSPについて。

今回は性別の揺らぎについて。
こういう性別についての揺らぎって、私だけだろうか。
それとも、発達障害があると誰もが感じることだろうか。
それとも、誰にでもあることだろうか。
正直、分からない。
でも、たぶん、切り離せないことだろうから、書いておく。

子供の頃の「性別の認識」

私は小さい頃から「性別の認識」が薄かった。
幼稚園にあがっても、男か、女かと聞かれても、ピンと来ない。
一応、女だと答える。

だけど、言葉遣いや、行動はまるで男の子。
髪型も、かなりのベリーショートだったから
いつも、男の子に間違えられていた。
そのことを不愉快だと感じたことはなかった。
それを初めて不愉快だと感じたのは小学4年生の頃だった。

そのあたりから、ちょっとずつ、体が女の子になっていった。
髪を長く伸ばし、体はしなやかさが増していった。
そして、小学5年。
10歳の頃、生理がきた。

その時の不快感って言ったら、半端じゃなかった。
どうも、お腹の調子が悪い。
下着を替えても、替えても、汚れる。
夜、こっそり、お母さんに話した。
お母さんから、それは生理だと聞かされて、ぎゃん泣き。

女だからって、生理があるなんて聞いてない。
もっと言えば、胸が大きくなるなんてことも、聞いてない。
ブラジャーを着けなさいなんてことも。
ケンカした時、男に勝てなくなるなんてことも、聞いてない。
全部、聞いてない。

それを知ってたら、私は女になんか、なりたくなかった。
別に男になりたいとも思わないけど。
男か、女かなんて関係ない。
男でも、女でもない。
そういう小さい子供の特権を行使していたかった。
なのに。
体だけ、勝手に女になった。
女か、男か。
せめて、自分で選びたかった。
こんなの、納得いかない。
理不尽で、不公平だ。

もう訳も分からず、怒っていた。
その全部に怒っていたけど
言葉にできなくて、自分でも、よく分からないまま。
ぎゃん泣きして、母の体に
めちゃくちゃにグーでパンチした。

その後も、生理がきて
体が、女になったことが、受け入れられなくて
生理用品を持ち歩くのが、本当に不愉快で、我慢ならなかった。

周りの女の子は
化粧をしたり、マニキュアをしたり。
背伸びして、ヒールを履いて。
もう生理が来たかどうか。
好きな男の子のことをヒソヒソと話していた。

私は受け入れがたくて、不愉快で。
ぶつけようのない、鬱屈とした怒りを内側に募らせていた。
それをどう言葉にしたらいいか、分からなくて。
大人達も、訳が分からなくて
ただ、怒られてばかりいた。

生理用品を持ち歩かないこと。
生理用品を自分で買いに行かないこと。
いつも、怒られていた。

女の子なのに、だらしがない。
そう怒られた。
私にしてみれば、理不尽で不公平。
女であることを自分が、選んだわけじゃないのに
どうして怒られなきゃいけないのか。
ずいぶん、ひねくれた女の子だった。

思春期の葛藤

高校生になって、やっと少しは受け入れて
生理用品を持ち歩き。
自分で、買いに行くようになったけど
店員さんが、男の人だったりすると、なんだか、とてつもなく屈辱的で、レジまで行けなかった。

その頃、性転換手術を受けるべきか、悩み始めていた。
恋愛対象は男の子だ。
それでも、いつまでも「女の体」に馴染まない、私の心。

言葉遣いも、行動も。
物事の捉え方も、お世辞にも「女の子らしい」とは言えなかった。

体は女の子。
心は置き去り。
男でも、女でもない。
あの小さい子供の頃のまま、置き去りだった。

人並みに恋愛経験を積んでいく中で、性転換手術を受ける必要はないと、確信したのは10代の半ばだった。
その後、しばらくは性別の問題は棚上げすることになった。
うつや、不眠症がそれよりも、深刻だったからだ。

無気力で、自暴自棄。
性別がどうのと言うより、そもそも、人として生きていく気がない。
悲しみとも、虚しさとも言いがたい、なんとも言えない虚ろな目。
それに、何を言われても、泣くでもなく、怒るでもない。
人の話を聞いてるのか、聞いてないのか、よく分からない気のない返事をして。
自傷行為と、衝動的な自殺未遂を繰り返す。

人はそこまで無気力で、自暴自棄になると
いっそ、性別なんか、どうでもよくなるんだと知った。

20代の半ばで、発達障害の診断を受けて、今の自分のままで生きていく覚悟を決めた。
そして、改めて、性別について考えた。

恋愛対象は男性。
人並みに、恋愛経験も積んだ。
体に違和感はない。
だけど、心のどこかで「男でいられたら」と思う。
改めて、女か、男か。
何年も、事あるごとに自問自答してきたけど
結局、いつも
「どっちにもなりたくない」
あるいは
「どっちにも、なりたい」
そこに行き着く。

たぶん、自分で思うに
私の心の性別は精神年齢が、止まってるのだ。
幼い頃の男でも、女でもないあの頃のまま、止まってる。

「どっちにもなりたくない」だけど
「どっちにもなりたい」

私の中には女の部分と、男の部分。
両方あるけど、今はもう、そのことで混乱はなく、無意識に自然に使い分けている。

好きな人ができたり。
生理が来たりすると、突然、女になるが
それ以外の時はどちらの部分も、同じだけある。

性転換手術を受けるべきか、悩んだ時期があった。
それほどに自分の中で、性別の揺らぎを感じることは普通のことだろうか。
発達障害が、あるからだろうか。
それとも、人より、敏感な何かが、そうさせたのだろうか。
それは今でも、分からない。

分からないけれど
今は世間がどう思おうと、医者がどう診断しようと、私の心の性別はユニセックス。

女か、男か。
どちらにも、なりたくない。
どちらにも、なりたい。

恋愛対象は男性。
体に違和感はない。
でも、時々、男。
だから、私の心の性別はユニセックス。

あり得ないって言われると思う。
自分も、最初はそう思った。
女か、男か。
そのどちらかしか、ないはずだ。

だけど、自分の心の性別について、よくよく考えると、行き着く先は
「どっちにも、なりたい」
「どっちにも、なりたくない」
そして、見つけた答えが、ユニセックス。

ユニセックスというのはファッション雑誌か何かで読んだ言葉だ。
確か「中性的」という意味で使われていた気がする。

私にとって、ユニセックスは
どっちでもいられる。
どっちでもいい。
そういう言葉だ。

ユニセックス。
それが、今の私にとって、一番、心地いい言葉。
だから、私はユニセックスでいたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?