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人前に立つのが怖かった理由

Lilyです🕊 

初めましての方へ、私のプロフィール です。

私の苦手なことの一つに人前に出るのが嫌いという意識がありました。大勢の人を従え先頭に立つのが嫌な訳ではないのです。大勢の人と向かい合うのが嫌なのです。要は沢山の視線が自分に向くのが恐いのです。そこでさらに声を発して話をしないといけないとなると、もう殺して下さいといった感じです、笑笑。

どうして嫌なのか。私は何が怖い?

失敗できない。失敗を隠せない。ちゃんと出来ない自分が嫌、恥ずかしい。人にダメなヤツだと思われるかが怖い。大勢の人の目が私を批判しているようで怖い。

自分で書いたものを読んでみるだけで、苦しくなりますね。昔から、人前に立つのが苦手なのは生まれ持った私の短所なんだと思ってきました。そして苦手を克服しなきゃ、努力しなきゃ改善しないと反省したこともありました。仕事をする上で必要なスキルとして治さなきゃならないと。でもスピリチュアルを通じて意識の世界を感じるようになって気付いたことがあります。

それは、「人は、私をダメだと思って眺めている訳でもないのに、私が勝手に自分の粗探しをされているように感じている。つまりは被害妄想をしているということ。」能力のない奴だ、話が下手な奴だ (さらに足が太い奴だ) と思って眺めているに違いないと (私が勝手に) 決めつけているのではないか。そう気づいたわけです。

それって私じゃん?

人がこのように私を見ている、という思い込みはまさに自分が自分をどう見ているか。つまりは、自分は苦手だから上手にできる訳ないと、自分をダメな奴だと思っている自分自身、自分を恥じている自分自身のあり方そのものじゃないのかと。

本当は誰も批判的なんかじゃないかもしれない。つまらない話だとか、話方が下手だとか、ちゃんとしてないとか、そんなこと思っていないかもしれない。私は大勢の人の目線が怖いというのは、複数あればあるほど、無言で責められいるような気持ちになってしまうからなのだけど、もしかしたら、目は鋭くなんかなくて、圧迫されることもなくて、みんな優しい心を持った人が暖かい眼差しを傾けてくれている。気持ちの交流を持とうとしてくれている。そう感じることができれば、人前に立つことも、人前で話すことも怖くないのかもしれない。

結局のところ、やはり自分自身への向かい方なんです。もともと私は自分に厳しい人間。スピリチュアリティに目覚め緩んできたとはいえ、もっと自分に暖かい目を向けることが出来れば、他人の視線も怖くないのではないか。このことに気づいてから、私にとっての世界が変わってきている実感は大いにあります。私に写る人々はもっと優しいのかもしれない。他人の目線がこれから自分にどう写るか、自分への愛を以って検証してみたいと思っています。

愛をこめて、Lily

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