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夜の窓をひらく

冬のはじめの頃、友人が営む古民家の本屋「庭文庫」で1枚の絵を買った。

明るい日差しが感じられる緑を基調とした作品が並ぶ中、ひっそりとした夜の景色に目が留まった。渓谷の中に続いていく道が、夕暮れとも夜明け前ともつかないあかるさと暗さを混ぜたような青のなかに溶けている。

いつかこの景色を見たことがある、と直感的におもった。もっといえば、わたしはこの景色の中にたしかにいた。朝と夜の境目に立った日も、朝から逃げるように真夜中に車を走らせた日にも。

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かつて、庭文庫から車で40分ほどのとなり町で2年ほど暮らしていた。庭文庫のお店ができたのは、ちょうど入れ替わるようにわたしが名古屋に帰った直後のことだ。

あるとき、庭文庫でのイベントの後にそのまま夜を明かしたことがあった。
早朝に自然に目が覚め、あたりの静寂を壊さないようにそっと外に出て夜の色を含んだままの空を眺めた。玄関の引き戸を開ける音がことさら大きく感じられてびっくりする。高台の古民家から川沿いの道路まで下りていって、くろぐろとした山に挟まれた笠置峡から朝靄がゆるやかに立ちのぼっていくのを見た。

樹々と水辺の湿度と空気のつめたさが交わって、じわじわと景色が変化していく。そんな風景の中にいるのは、ほとんどはじめてだった。この調和の中で自分だけが異物のようで、身じろぎすれば水に石を落としたときのように思いがけない波紋が広がってしまう気がした。しばらくぼうっとしているうちに空からは夜の色がすっかり消え、一条の光が水面に差しこんできて、夜はたしかにいなくなった。

もし、朝と夜に明確な境界線を引くならば、あの時間がそうなのだろう。朝が来るまでの句点のような、それほど美しい朝をわたしは山の近くに暮らしていたはずなのに、それまで見たことがなかった。

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山の麓のアパートで暮らした頃、どうにも身の置き場がない感覚にとらわれ、夜のコメダ珈琲に逃げ込むように車を走らせたことがある。

一人暮らしの家での夜はとても長く感じられ、ただいつもと違う場所に行きたかっただけなのに、無情にもコメダの駐車場はいっぱいだった。しかも、店内には空席がちゃんとある。それはちょっとした絶望だった。ふだんはそんなことで落ち込まないのに、その日は表面張力をぎりぎりで保っている水のような精神状態だったのだとおもう。

しかし、夜が早いこの街に一人で訪れられる場所は限られているし、お酒のある場所へは車では行けない。とにかく、一人でいても、ふらっと身を置いておけるような場所が家の外になかった。夜遅くまであかりを灯している本屋さんや、ひとり客を放っておいてくれるような静かなお店が、知る限り近くにはなかったのだ。

仕方なく、来た道を引き返して、メゾネットのアパートにとぼとぼと帰ってきた。わたしを置いておく場所はこの部屋にしかない。でも、こんなにも長い夜とどう付き合えばいいのかがわからない。街灯のまばらな住宅街の向こうでざあざあと絶え間なく川が流れ続けている。流れのない川しか知らない自分にとっていつまでもそれは外の景色だった。自分で決めてやってきたはずの場所なのに、こんなに心底かなしくなる理由もよくわからなかった。

この先もずっとこうして一人でいるのだろう、という確証のない予感と、先の見えない不安。間違いと批判をおそれていること。手放さなければよかった選択肢と、どこへも行けないという感覚。どこかへ行きたいのに、どこへ向かえばいいのかまるでわからない。

深夜、目が覚めて東の窓を開けるとつめたい秋の空気が気管支に流れ込んできて、体の内側が冷えていく。山影の上のほうにはオリオン座が光っていた。オリオン座は冬にしか見えないものだとおもっていたけれど、眠っているあいだも、いつでもそこにあったのだ。気づかなかったのは自分のほうで、星が光り方を変えたわけではないのに。

暗闇に目が慣れると星の数がみるみるうちに増えてくる。そうこうしているとすっかり目が覚めてしまい、ふたたび手持ち無沙汰な時間がやってきた。本を読もうという気持ちにはならないまま、長い文章が次第に読めなくなっていることには気づかないふりをしていた。

眠ることをあきらめ、朝が来るのを待たずにまだ暗いうちに家を出た。電車での帰省予定を車に変更して、ほとんど車のいない午前四時前の国道をずっと西へと走っていく。ロードサイドのチェーン店の看板も、森の中へと続いていく道も、眠っている青い景色の中に沈んでいた。どこにでも行けるとおもえないことが、たぶん一番おそれていたことだ。誰がこの先に待っているのかもわからないまま、離れていった人たちの顔だけがだんだんとみえなくなるような気がした。フロントガラスの向こうに夜を残したまま、ルームミラーの中から朝の気配が広がっていく。

ただ、そこにいても大丈夫と思える場所が、どれだけの夜の先にあるのかもわからない。もしかしたらそんな場所はずっとこの先も見つけられないかもしれない。先の見えない怖さから逃げるように、暮らし慣れた街へと走っていく。気づくと山は姿を消し、ふたたびロードサイドの光景が戻ってきた。瑠璃色の視界は次第にあかるくなっていった。

***

手に入れた絵の中には、夜と朝の境界で見た空の色があった。あるいは、早朝の国道でなにかから逃れるように車を走らせた日の空だった。いまとなっては何が苦しかったのか、言語化するのはむずかしい。それくらい遠くなってしまえば、自分の痛みさえももう自分のものではなくなりそうだ。

記憶のなかにある感情は瞬く間にこぼれていってしまう。だから、ようやく手に入れた自分のための壁に、いつか見た空の見える窓をひらく。遠ざかってしまってもたしかにあった記憶を忘れないために、夜の風景を飾る。

 


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