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ゆらめく記憶

火曜日の日課といえば、朝起きてスーパーの広告をチェックすること。火曜日の朝市にいそいそと出かけていって、平日の食材を買うためだ。

きょうも、眠い目をこすりながらスーパーのチラシに何気なく目をやる。だいたい安くなっているものは同じ。たまごとお肉、それにじゃがいもやたまねぎ、にんじんあたりのポピュラーな野菜。

できるだけ無駄な買い物をしたくないから、冷蔵庫の中を見ながらざっくりと週末までの献立を考えて、iPhoneのリマインダーに買い物リストを落とし込む。結婚してから半年で身についた毎週火曜日のルーティンだ。

しかし、きょうはそのルーティンを揺るがす出来事が起こった。

火曜日になると愛用していた件の店が閉店するというのだ。

決して規模は大きくないし、火曜市だからといって混んでいるわけでもない。でもそのこぢんまりとした感じが買い物がしやすくて好きだった。

そんなわけで、きょうでここへ来るのも最後か…と少し寂しさも覚えながら、しっかりと目当てのものは手に入れてきた。

スーパーまでの道のりは徒歩10分ほど。帰りは荷物が重くなるから、買いすぎないように気をつけなければならない。自転車もあるにはあるが、マンションの階下へ下ろすのが面倒なのと、橋の歩道が狭くて通りにくいのでいつも歩いて向かっている。

それに、歩いているときのスピードや目線の高さのほうがいろいろなことに気づくゆとりがある。

いつの間にかすくすくと育っている近所の畑のとうもろこし、夏仕様になったファミマののぼり、大量に信号機が廃棄されている会社の敷地、信号機が意外と大きいこと。

運河にかかる橋に差し掛かると、さわやかな風が吹き抜ける。川の流れのない運河は、風にまかせて不規則に水面がゆらめく。ときおり、遠くの方でボラかなにかが水面を散らして飛び跳ねた。

運河の橋を渡った角には、蔦が壁一面に青々と茂った倉庫がある。裏から見ると、まるで廃工場の様相だけれど、しっかり現役の海運会社のようだ。

ああ、そういえば、まだ小学生のころ熱田神宮に行くときは必ずこの道を通ったっけ、と記憶が蘇る。子供心に廃墟のようにも見えるその建物は強烈な印象となって残っていて、その道を年に2、3回通るたびに「おとうさん、ゆらかいうん!」と言っていたのを思い出す。

ゆらかいうん、という言葉は、幼いわたしの耳に心地よい響きだったのかもしれない。あのころ、この街の景色がどうなっていたのかいまとなっては思い出せないけれど「ゆらかいうん」がいまもなくなっていないということだけは事実だ。

海運会社を通り過ぎ、茶色い家の玄関先に寝ているコーギーはいるかなとのぞけば、彼も寝姿のままちらりとこちらに目をやる。まだ半年、でもずっと長いこと通いつづけていたような感覚をすでに持ち始めている。

来週からは、別のスーパーへ行かなくては。幸い、同じ系列のスーパーが少し離れたところにあるし、駅からの帰りでも3軒くらいは寄れるアテがある。だから、買い物に困ることはない。

けれど、毎週通いなれた道もきょうでおしまい。信号機も、コーギーも、ゆらかいうんも、これからは車か自転車で通り過ぎることになるだろう。

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