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花冷え

インターンの帰り、花冷えのする午後10時の矢場公園のあたりは人気もまばらで、少し早足で通り過ぎる。閉店後のセレクトショップのマネキンの気配にはっと顔をあげたとき、大通りの方から二十歳そこそこの女の子が自転車に乗ってこちらに走ってくるのに気がついた。

そのまま歩を進めると、閉店後も明るいファストファッションのお店のあたりで自転車の女の子とすれ違った。まだ夜は冷え込むというのに薄着で、煙草をくわえながらゆっくりと自転車を漕いでいく。女の子が通りすぎた後に、彼女が吸っていた煙草のにおいだけが取り残されていた。

ふと、10年も前に好きだったひとのことを思い出す。子どもの頃から煙草は苦手だった。なのに、煙草を吸うその人と付き合っていた。付き合っていた、と言っても、いつもわたしから連絡を取り、ときどき寝坊されては最寄駅で待ちぼうけしなければならなかったり、寒空の下で数時間待った末に会えなかったこともある。

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いまならすぐ別れなよ、と言いたくなるようなルーズな人だけれど、なぜか周りから憎まれないところに惹かれていた。もうどんな声だったか、どんな笑いかただったか、ほとんど思い出せないけれど、きらいだったはずの煙草のにおいだけはなぜだか覚えている。

不思議なことだけれど、なぜかいい匂いについてはまったく思いだせない。煙草も香水もしないけれど、いつもいい洗剤のにおいがしていた人も、ちょうどよい加減で香水をつけていた人も、もうどんなにおいだったのか忘れてしまった。それなのに、なぜだか苦手な煙草のにおいだけが、いまも記憶を呼び起こすファクターとなってあらわれる。

それでも、春が来たときの軽やかな風や、2学期にはじめて登校する日のような秋の気配を孕んだ夏の朝、雨上がりの濡れたアスファルトから立ち上るにおい、そんな自然のにおいと結びついている記憶もある。それは特定の誰かとの思い出ではなくて、幼い日のわたしの感覚をなぞって、なつかしさをくすぐるようなにおいだ。

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パルコの前のスクランブル交差点を通りすぎ、いくらか明るくなってきた道を歩きながら、ふとそんなことを考える。自転車の女の子は西へ消えてゆき、わたしは地下鉄へと続く階段を降りていく。あの人は、どうしているのだろう。思い出せるにおいと、思いだせない記憶を綯い交ぜにしたまま、満員の地下鉄に乗りこんで家へと向かう。

#エッセイ #記憶 #春の夜 #におい #恋愛

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