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コバルトブルーと私

最近、インスタでthe back horn(以下バックホーン)の曲であるコバルトブルーがバスっている。

私が今この文章を書いている時点で1,500万再生に届きそうだ。


こんな一ファンの私が言うのもおこがましいが、世界にバックホーンの魅力が伝わってくのがとても嬉しい。すごく嬉しい。もっとたくさんの人にそのすばらしさが伝わってほしい。

このタイミングでどうしても感謝を表現したくなってnoteを始めた。

なぜならバックホーンが鬱屈した生活で疲弊した私を救ってくれた命の恩人であるといっても過言ではない存在だからだ。バックホーンのおかげで今の私がある。

これから、私の人生とバックホーンとの縁を振り返ってみることにする。

※ここからは私的で重めの内容になるので、お読みになる際はご注意ください。


バックホーンとの出会い

バックホーンとの出会いは私が中学生の頃。

私は機能不全家庭で育った。幼少期から親のセンサーに少しでも触れるととにかく怒られ、毎日常にビクビクしながら生活していた。両親のケンカや怒鳴り声がBGMだった。

私の親は今でいう毒親だった。当時、私には勉強時間というものが親から課せられていた。20時~23時くらいまでは自分の部屋で勉強していないと怒られるのである。それ以降も起きていたら怒られるので大人しく布団に入らなければならない。

そんな親の目を盗み見ては音楽を聴いたり、ラジオを聞いたりしていた。いつものようにラジオ番組をこっそり聞いていて、流れてきたのが「はじめての呼吸で」だった。山田将司の叫び声が突き刺さり、乾いた心がジワリと潤された。その感覚は今でも覚えている。なんだこのバンドは!?と衝撃を受け、それからというもの、過去の作品をぼちぼち集め始め、シングルやアルバムがリリースされるとそれを心待ちにする日々が始まった。

親に全てをコントロールされ、自分の気持ちは封殺されて親の思い通りにしないとボコボコにされる、そんな日々が続いていた私には鬱屈とした感情を癒してくれるバックホーンの音楽がとても愛おしかった。理想の子供でいないと、テストでいい点をとらないと怒り狂って死ねとまで言い出す親だった。ほんとに辛くて死んでしまいたいたくなる時も、今度バックホーンの新譜がリリースされるからそれまでがんばろうと思って命を繋いだ日々もある。それくらいバックホーンが心の支えになっていた。

高校受験が終わり、親戚のおじさんが記念にほしいものを買ってあげるということになった。私は迷わずギターを選んだ。ほんとは菅波栄純と同じグレッチのファイアバードが欲しかったが、いかんせん安くても30万円くらいする。悩んだ挙句、他のギターを買ってもらうことにした。親はいい顔をしていながったが、自分に小さな羽根が生えたみたいでめちゃくちゃ嬉しかった。それから3年間地獄の日々のおかげでギターを弾くことはなかった。

続・地獄の日々

進学する高校も学部が親から決められて、自分の意志はそこにはなかった。親の世間体を取り繕うために、まあまあの進学校に入ることになった。中学生までは殺されるかもしれないと思うくらい厳しい親の指導とド田舎の学校ということもあり良い成績を残していた。しかし、高校に入ると現実は残酷であった。授業の難易度が急激に上がりついていけなくなった。

成績がどんどん落ちてく私を見かねて親は部活を辞めさせた。プロになるわけじゃないのだからそんな無駄なことはやめなさいと言われた。いや、みんなプロになるために部活しているわけじゃないのだけれども・・・とそう考える余地も当時はなかった。そして勉強漬けの日々が3年間続くのである。

大前提として私は大して頭が良くない。クラスの周りの人間はハイスペックすぎて目がくらんだ。ただ、親の意志は固い。子供の頃から医者になりなさいと私を洗脳していたが、学力的に難しいとなると国家公務員になりなさいと言い始めた。当時のピュアな私はそれを真に受け、「ワタシハコッカコウムインニナルノダ」と自分に言い聞かせた。親に隠れて音楽を聴く時間だけが楽しみの日々だった。なにかおかしいと思っていたが世間を知らないため、なにがおかしいのかはわからなかった。

バックホーンの悲痛なまでの激しいサウンドが自分の気持ちを代弁してくれているみたいで荒んだ心が救われた。そんな日々の中で一つの希望が生まれた。自分を自由に表現しているバンドマンに強い憧れを抱いていた私が考えたこと、進学したらバンドができるのではないか?

それからというもの「大学でバンドをやる」という目標ができた。むしろそのためだけに勉強をした。くじけそうになったときもバンドをやるのだという強い意志のもとなんとか踏ん張った。親や周りの人間は真面目で堅かったので自分の音楽的嗜好を否定してきた。悲しかったが、この環境から出れば仲間がいるかもしれないというのが唯一の希望だった。

希望の日々

例のごとく、進学先は親が勝手に決めていた。私のまったく関与してないところで担任との話は進み、勝手に学部学科も決められていた。耳当たりのいい大学名だった。親に洗脳されていた自分は将来何の仕事がしたいのかという考えを持てなかった。親の言う通りに生きるのが当然だった。そこに疑問すら持たなかった。受験戦争をサバイブし、なんとか親の決めた大学に合格することができた。

そして晴れて親元を離れ一人暮らしをすることになった。大学生活は楽しかった。親の監視を離れ、自由に生活ができる。ここは天国かと思った。親に反感を買うのを避けるため勉強している感はしっかり出した。バンドサークルに入り、念願のバンド活動をすることができた。それまで家庭に閉じ込められ、自己肯定感がまったくなかったので大変だったが、なんとかバックホーンのコピーバンドを組むことができた。めちゃめちゃ嬉しかった。初めてバンドでコピーした曲、それが「コバルトブルー」だった。ギターむずいやん!とは思ったものの、気合と根性で練習した。それまでは人からやらされることばかりだったが、これは自分が心からやりたいことである。人前で演奏したときの気持ちよさは忘れられない。

ライブもたくさん行った。仲間にも恵まれ、心から自分を認めてくれる人もたくさんできた。演奏も上手くなって自分に自信がついた。自分がやりたいことをやって人から評価されるという環境が心地よかった。ずっと否定されてきた人生が肯定され始めたように感じた。

決められた人生

楽しい日々も束の間、また親の支配の魔の手が近づいてきた。就職である。いつものごとく親は就職先を指定してきた。ここで反発することもできたのだろうが、子供の頃からずっと洗脳されている自分は、将来やりたいことが何もなかった。それから胸もモヤモヤを感じつつ、また必死で就活をした。身心共にボロボロになりながら、親の指定した就職先に就職することとなった。ここもとても耳当たりの良いところだった。

進学で地元をせっかく出たのに、就職で地元に呼び戻された。一人暮らしの生活は何とか死守したものの、物理的な距離が狭まったのでまた執拗に私へ口出しを始めた。社会人になっても親には黙ってバンド活動をしていた。しかし、探りを入れられバンド活動をしているのが親にバレた。案の定、バンド活動を否定し始め、次は早く結婚するようにと言い出しはじめた。

その年になって結婚していないのはおかしい、バンドなんてしょうもないことしてないで早く結婚しなさい。結婚してないなんて世間様に恥ずかしいと会うたびに罵倒する。

これまで必死に親が敷いたレールをボロボロになりながら進んできた。ちゃんと仕事もしている。

ただ、全て親自身が世間からどうみられるかが問題だった。私の幸せなんて考えてない。

決められた人生を生きるのがとてもしんどかった。

社会人になった私は、冷静に過去を分析し始めた。どうやら毒親というものがあるらしい。調べていくと、やはり私の親は私をコントロールすることで自尊心を満たしていたのだと思う。成し遂げられなかったこと、コンプレックス、世間からの羨望そういった満たされなかったものを、私という分身を通じて補填していたように感じる。

私の親は容姿や学歴、職歴などにおいて人生コンプレックスまみれだった。

私の親は私を理想の息子として形成し、支配して優越感に浸っていた。親自身は何も成し遂げていない。

親の洗脳が解けた私にははっきりとしたことがあった。

そう、私は私の人生を生きていなかった。

私の人生を生きたい。

私の好きなものを否定される人生はもうごめんだ。

決められた人生にうんざりした私は転職をして地元を離れた。私の人生の方向性を決めるにあたって初めて親に反抗をした。危害を加えてきたら法的処置も辞さない覚悟だった。

最後に残るもの

親の洗脳に気づくまで長いこと時間がかかった。今でも過去がフラッシュバックすることがある。これは一生向き合わなくてはいけないことだと思う。

転職して親との関わりを避けることで、支配される機会も極端に減った。

支配から離れ、本当にやりたいことに注力し、愛する人と一緒に暮らしている。

私の価値観を大事にして、私を大切にしてくれる人に囲まれて日々幸せである。

誰かの顔色を伺うのではなく、私は私のままでいいと思えるようになった。

私の人生を生きる。その一歩目を歩ませてくれたのは間違いなく、バックホーンだった。

私の人生を救ってくれた。本当にありがたい。

最近、久々にバックホーンのライブを見に行く機会があった。25周年ツアーである。

昔はダイブやらモッシュやらをガンガンしていたが、もうその元気はなく、ライブハウスの後ろの方でゆっくりと見ることにした。周りを見渡すとお客さんも年齢層も上がっている。そら私も年をとるわけだ。コロナ禍が明けて声出しOKになっていたが、みんな結構拍手していた。習慣ってすぐに抜けるものじゃないよね。

往年の名曲たちももちろんすばらしいが、新曲である最後に残るものがとてもよかった。

ライブで聞くと本当に心に響く。

あなたが「此処に居ていいんだ」と思える世界になれ

のフレーズで気づいたら号泣していた。


出会えて良かった 心からそう思うよ。

一人じゃなかった あなたがいてくれた

壊れそうな あの夜とか

生き急いでしまいそうだった瞬間に

この手を掴んでくれたのは

あなただった


私も微力ながら身の回りの誰かが「此処に居ていいんだ」と思える世界を作っていきたい。

また生きて会おうぜ。

#thebackhorn #コバルトブルー

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