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妄想昭和歌謡 へ 「ヘイ・ユー・ブルース」左とん平

昭和48年 歌 左とん平 作詞 郷伍郎 作曲 望月良道

左とん平は俳優だ。名バイプレイヤーというやつだった。コミカルな役どころの。
クラスで話題になるドラマ、「時間ですよ」や「寺内貫太郎一家」にも出ていた。
西遊記のⅠで西田敏行だった猪八戒役はⅡでは左とん平になっていた。

この歌を「へ」の項で挙げたが、調べてみると「ヘイ・ユー・ブルース」ではなくあくまで「とん平の ヘイ・ユー・ブルース」が正式名称だということを知った。
でも「ヘ」から始まる昭和歌謡が浮かばない上、「と」でどうしても挙げたい歌があるからチートをしてしまう。

何らかの思い入れがあった訳ではない。
ヒットはしたがベストテンにちょっとの間入っていた位で当時大きな社会的影響があった訳でもない、と思う。
でも記憶の底にあって手繰り寄せてしまったのは左とん平という人について何かを感じていたからだ。何かというのはファンというものの存在についてだ。

Hey you
What’s your name?

の部分は覚えていた。
小5から通い出した英語塾にもまだ通っていない年齢で、昭和の公立校ではもちろん英語は全くなかったけれど、幼稚園での知識を活かして小学校の同級生のMさんに「名前はなんですか?と言っているんだよ」と得意気に教えた。

同級生Mさんの家は同じ町内にあったので、行き帰りを共にすることが多かった。冬厳寒の地にあって、日の差さないガラスの入った昔ながらの玄関引き戸のそのうちで遊ぶ時にはよくその子の弟もいた。その弟を見て屈託なく「左とん平に似てるねえ」と言ったのは母だ。確かによく似ていたが、本人や姉である友達には言えなかった。言って喜ぶとは思えなかったからだ。
でも友達の弟が成長して歌っているような錯覚にはおちいった。

昔から日本人男性に一定の割合でいそうな風貌。それは決して貴族だとか誇り高い武士系のイケてる方のではなく、イケてない方の代表みたいな感じだ。でも親しみやすいとも言いかえられるタイプ。ブサイクでも全くギョッとして避けたくなるタイプではない。愛嬌があるのだろう。

今調べたら76年と81年に賭博で捕まっていたとある。
このどちらだったかは覚えてない。ただ逮捕された後の謝罪をテレビで見たのだ。
「ファンの皆様を裏切ってしまったことを大変反省しております」
「ファンあっての左とん平ということをこれから自分に言い聞かせて二度としないと誓います」
みたいなことを神妙に語っていた。
そこで初めて思った。

左とん平のファンって誰?

アイドルだったり杉良太郎だったり、たとえ自分が特に好きでない芸能人にもファンがいることは知っている。
でも左とん平のファンて誰?
そう考え出すとファンって奥深い。


令和に改めて聞いてちょっと震撼。
シャウトがめちゃくちゃカッコいい。昭和の終わりに大好きだったマービン ゲイ や ジェームズ ブラウンに通ずるグルーブ感やリズムにこれは掘り起こしたぞ感が湧き上がる。晩年に近い頃のJB生で聞いたけど、歌というよりシャウトのみをリズムに乗せていたし。でもそれが大御所感あってカッコいいのなんの。そんな感じがあるのだ。

しかし今頃一介の素人が掘り起こすまでもなかったのだ。
ネットには90年代にスチャダラパーや大槻ケンヂ、錚々たるアーティストにすでにカバーされていたとある。初めて知った。カンニング竹山ってのもあるぞ。

とっくにだった。放っておかれるわけなかったのだ。

人生や世の中の例えに、すりこぎとすり鉢を持って来るのも渋みがある。
だってすりこぎとすり鉢だ。
少なくとももう昭和後期の都市核家族家庭では徐々に少なくなり始めていた調理器具たちだ。ご飯をお釜で炊かなくなり、蚊帳はいらなくなっていた。平成になってすり鉢でするような大抵の食材はペースト状になったり粉末になったりして売られるのが常だから(すりゴマとか白和えの素とか)今は必要な家庭にだけあるものだろう。
陶器の乳鉢と乳棒ではないので、すられるのは食材だけでなくすりこぎ(サンショの木のものが一番いいと言われている)も同時。少しづつすり減っていくものだと平成生まれは理解しているかな?
私は昭和生まれだけど実際使うようになるまでわかっていなかったぞ。
でもわかるとその徐々にすり減っていく感に実感が湧く。人生もすらず知らずのうちに日々すり減っていくと。

そしてさらに歳をとってから歌っている動画を見てしまった。
シャウトが衰えるどころか更に円熟しているではないか。人生についての歌詞もますます裏付けがあって渋みを醸しているではないか。

亡くなってしまった令和の今頃になって私もファンになってしまったんだけど。
決して推しではなくファンだ。昭和だから。

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