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じゃ、またね。

丸さん(仮名)が先週末、悪性腫瘍の病状の悪化で療養していた病院を退院した。
必要なケアからすると、ひとり暮らしは難しいと主治医に告げられ、彼の新しい住まいは入所施設になった。
彼の支援者のひとりであるボクはその施設で彼の到着を待った。

 おかえり、丸さん!

丸さんは介護タクシーのハッチバックからストレッチャーに乗せられ現れた。
感染症対策で病院への面会が許されないまま退院となり、彼の母親の葬儀のサポートをした以来、数ヶ月ぶりの再会だった。
痛み止めの麻酔のせいだろうか、視線の先がどこを向いているか分からないような覇気のない表情だったが、ボクのおかえり、のあと少し微笑んだのは分かった。
部屋に運ばれるとすぐに施設の看護師からお茶を飲むよう促されたが、彼は 気持ちが悪く昨夜から水も一切、口にしていない と断った。
看護師が部屋を出ていった後、何も食べる気がしない。と言いながらも、「飴は食べられるよ。先生も食べていいと言ってた」とボクが手渡したビタミンc入りのど飴を受け取った。
うまく個包装の袋を開けられないまましゃぶるように舐めはじめた彼に、味の感想を訊ねると、おいしいよ。と、ぷちゃぷちゃ音を立てながら答えた。
昨晩から不調の兆しがあると病院から聞いていたので少し安心した。
そういえば丸さんは飴が好きらしい。
6か月前、大学病院で診察に付き添った時も、彼の乗る車椅子の後ろから差し出した飴を「フラフラでしんどいけど飴は食べれるよ」と迷いなく受け取りぷちゃぷちゃと音を立てて舐めていたのを思い出した。
あの日、いくつもの検査、診察、待ち時間を経て、「横になりたい…」とボクに告げ、看護師の対応を待つ間に様態が急変し転院となった。

施設の職員が再び部屋に現れるのを待つ間、ボクのたわいもない声掛けにベッドの上で横になった彼は短くコトバを返すことを繰り返した。
聞こえてなかったかのように、時々ぽとり、ころころと言葉のボールを受けそこなうこともあったが、ボクが拾いに行きもう一度緩く投げると彼は受け止め、短く投げ返してきた。
疲れているだろうから少し目を閉じて休んではどう?ボクも寝不足だから横で(床に座り)眠って施設の人を待つよ。と彼に声をかけた。彼の返事はなかった。愛用のラジカセでカセットテープに入った歌謡曲を聴きながらボクらはまったりと、待った。
彼に誰が歌っているのかと尋ねたが、
薬(モルヒネ)の影響で意識が朦朧しているのかうっすらと目を開けたまま、答えはありませんでした。

施設の入居手続きを終え、ボクは彼に声をかけ、そこをあとにした。

 じゃ、またね。

次の日には容態が急変し、病院に搬送。
今日が山場だろうとの内容の連絡が入り、ボクは病院に駆け付けた。

彼は天井に向かって目を見開き荒い呼吸をしていた。 
時折、何か叫ぶようにコトバを吐き出した。
こぶしを固く握り、ベッドを叩き続けてた。
 くるしいね。くるしいんやね。
声をかけると少しこちらに視線を向けて何かをつぶやいたものの
言葉はゼーハーと言う息に消された。
看護師によると、まだ少し声が聞き取れるぐらいの時には、かあさんかあさんと亡くなった母親を呼んでいたそうだ。
彼の目じりには水滴が光っていました。

 じゃ、また。またくるね。

一度、退去し事務所に戻ったその夜に、病院から「心肺停止」「看取りをされるなら」との連絡が入り、再び駆け付けた時には、強めの冷房の中、彼は静かに、ベッドの上で口を開き、目を大きく見開いていた。
ボクらの声に応えず、静かに。
こけた青白い顔には見慣れた無精ひげ、鼻毛もいつもどおりみえていた。
固く握ったこぶしはまだ
赤く血色が残っていました。

医師により儀式のようにバイタルを図られ、死亡が宣告されました。
ボクは看護師と淡々とその後の手続きについて言葉を交わし、週明けの段取りを決め病室を出ました。

 丸さん、ほなね。

一緒に駆けつけたスタッフの帰りを見送り、ボクも家路に向かいました。

空は茜色

帰宅後、妻に休日の突然の外出理由を説明し、併せて今日は父の日。夕刻、父に電話をかけたがつながらなかったことも話した。
妻は今日が父の日であることを忘れていたそうだ。妻の父親は既に亡くなっているからだと思う。

父にもう一度、電話してみるよと家の電話の受話器をつかんだ時に、
妻が私がするっ!と言いボクが受話器をとるのを制止した。
変わらぬよき嫁でいたいのだろう。
その気持ちを尊重し、受話器をおろした。
コールして僅かでつながった。通例の母ではなく即、父が出たようだ。
ひととおり、妻は父にコトバを連ね話した後、傍に立つボクを振り返り、りんも話す?
と言った。
当たり前だ。

父の声を聴く。
夕方にかけた時は電話のコールに気づかなかったそうだ。随分と耳が遠いんだろう。
また顔だしに行くね。
おう、来てくれ。じゃ、(また)

今日のnoteは「呑みながら」宴の如く 何か べちゃくちゃと話すつもり
でしたが、それは

また の機会に。