見出し画像

アレルギーのあった'SDGs'を敢えて大学院で学ぶ理由①

私は、民間企業、在外公館、政府機関を経て、社会人五年目の終わりにようやく国際協力のサブ(事業の中身)に深く関わる機会を得ることができました。

国際協力を志した多くの人は、「世界がもし100人の村だったら」のような本を読んで、貧困や不平等を是正したいという動機から始まる人が多いようですが、私の入り口は貧困ではなく紛争、具体的にはトルコのクルド問題でした。
あるクルド系女性国会議員の獄中書簡を読み、大好きなトルコで、民族的マイノリティのクルド人が存在を無視され迫害を受けてきたこと、そのクルド人の一部が過激化してトルコの市民にも多大な犠牲が出た事、幾度となく和解の試みがとん挫してきた事を知りました。学部時代、現地に留学してこの問題を学ぼうと四苦八苦したのは良い思い出です。
それから「非対称な'テロとの戦い'の名のもとに横行する人権侵害」は常に私の問題意識の中核にあります。そのホットスポットの一つであるパレスチナの紛争被害者への支援という事業で、未経験の私がポストを得られたのは本当に幸運な事です。

そこからの一年というのは実に濃密でした。

役所で見聞きした権威主義やポスト争い、外資系企業で直面した行き過ぎた実力主義の生み出す歪み、こうしたものとは無縁の、それでも説明責任と成果を厳しく問われる環境はとても刺激的です。

国際緊急人道支援の果てしない可能性と、それでもなお直視せざるを得ない限界の両方を事あるごとに学ぶことができました。

現在、我々援助団体が直面している最も大きな課題の一つは、日本の国力の減衰と共に年々獲得が困難になる政府資金や、寄付文化の未成熟な日本社会に流れる民間資金を、終わりの見えない紛争の現場に投入したとして、その効果をどう「持続」させるかということです。

ガザの紛争で生計手段を失った世帯に物資を配る、脆弱な医療体制のはざまに零れ落ちた子どもの栄養状況を改善する、どの取り組みも現地の切実なニーズに応えたものですが、もし明日彼らの頭上にイスラエル軍が爆弾を落とせば、全てが水泡に帰してしまう。人道支援は、日々その虚無感との戦いでもあります。

また、良くも悪くも紛争ありきで成り立っている社会システムの中にいざ身を置くと、政治的解決に現実味がない事も改めて痛感します。

無論、事実関係ベースで紛争の構造と人道危機の責任の所在を見極め、明確にし、声を上げる努力は続けなければなりません。

ただ、安保理決議すら無視する主権国家による文民の殺戮を確実にやめさせる方法は今の所どこにもありません。

また、ガザという人道課題のるつぼのような地域と関わり、海外援助団体の取り組みについて学ぶ中で、多くの政府機関や国際NGOが、現地の人々が支援に頼らずに、自らの手で収入を得られるよう起業家支援・職業訓練等の取り組みを行っていることを知りました。

確かにこれは極めて合理的なアイデアだと思います。ガザでは70%の若者が失業状態にありますが、実際の彼らは非常に優秀で志も高く、機会さえ与えられたらポテンシャルを発揮できるのだということは、私も事業視察を通じて実感しました。

例えば、既存のセクターは空爆と物資不足で麻痺して人を雇えないとしても、彼らがプログラミングのスキルを身に着けて、国外のエンジニアよりも質の高い製品を、早い納期・安い価格で提供できれば、ネット環境と高性能のPC1台で家族を養い、子どもを学校に通わせられるかもしれない。(あってはならないことですが)家や職場が破壊されても、技能やスキルは彼の命がある限り誰にも奪うことは出来ません。

もちろんそう単純な話ではないことは承知していますが、少なくとも命をつなぐための支援に資金を注ぎ続けるよりは、まだ展望があるのではないかと思うようになりました。

こうしたことから、私の問題意識が紛争解決や人道支援から、開発の方にも少しずつ広がってきました。

とはいえ、sustainable developmentという言葉は私はあまり好きではありません。

社会人生活のスタートと同時にメインストリームから早々に脱落し、地面に這いつくばってのたうち回っているうちに社内ニート、挙句の果てにはフリーターに転落した私のような人間にとっては、時代に乗ったキラキラインフルエンサーやイケてる起業家、トビタテ界隈でしきりに叫ばれる’sustainability’'SDGs'という言葉はそれだけで胸やけと蕁麻疹を起こさせるものです。

というか他球団から選手を乱獲して若手成長の芽を摘むというムーブを永遠に繰り返す、持続可能性のかけらもないプロ野球球団を20年以上にわたり応援し続けている人間が「SDGsガー」とか言い始めるのは滑稽にもほどがあります。

ただ、ガザの若者たちの当事者意識に支えられた情熱や、海外機関の生み出すインパクトは、なんj民のルサンチマンを凌駕するほど魅力的でした。

開発、とりわけ雇用機会の創出という文脈で、もっとガザの若者が将来に希望を持てるための取り組みができないか、まずはその第一歩として、当事者との共通言語を話せるようになれないか、その共通言語こそが、「持続可能な開発なのではないか」そう思い至りました。

次の投稿は、その中でもなぜサセックス大学の、敢えてオンラインコースを、このタイミングで受講しようと思ったか、出願準備の事等をまとめたいと思います。
巷に大学院留学の情報はあふれていますが、ことオンラインに関してはあまり情報がないため、どなたかのお役に立てますと幸いです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?