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奇跡のコース実践記録27

★パート2 真の知覚の獲得への取り組み

8. 実在の世界とは何でしょうか

レッスン 291
今日は静けさと安らぎの日です。

レッスン 292
すべてのものにとっての幸せな結果は確実にやって来ます。

レッスン 293
すべての怖れは過去のものであり、愛だけがここにあります。

レッスン 294
私の肉体は完全に中立的なものです。

レッスン 295
今日、「聖霊」が私を通して見ます。 

レッスン 296
今日、「聖霊」が私を通して話します。

レッスン 297
ゆるしは私が与える唯一の贈り物です。

レッスン 298
「父」よ、私は「あなた」を愛しています。「あなたの子」を愛しています。

レッスン 299
永遠の神聖性が私の中に住んでいます。

レッスン 300
ほんの一瞬の間、この世界は持続します。


この日は満月でした。
綺麗な満月が、夜空に輝いていました。

自然はとっても美しいと思います。
自然界の色の組み合わせは本当に美しいです。
普通その組み合わせはどぎついとか、合わないとか思える配色でも
自然界ではとても調和していて美しいのは不思議だなと
ずっと思っていました。

様々な淡い色たちが踊り出す春。
ビタミンカラーが溢れ出す夏。
しっとりと暖かな色に包まれる秋。
ピンと張り詰めた空気の中に一際クリアな色が舞う冬。

人工物では表せない美しさ、豊かさ、広さ。
どんなに素晴らしい絵画より癒されます。


苦しみの中にいた時、この美しさにも気づくことができませんでした。
20代は視線を下に向けて歩いていたような感じでした。
30代にある一つの出来事があり、初めて空を見たような気がしました。
それでもまだ世界はグレーのベールに包まれていました。
40代、世界がひっくり返るような衝撃で目が少しずつ開き始めました。
そして今、やっと素のままで世界を見始めたのです。

この世界じゃない愛と豊かさの世界に行きたいと思っていたけど、
この世界もこんなに美しい。
この世界の美しさをもう少し味わいたい。

ふと、そう思いました。

神とひとつである場所、神の家こそ愛に満たされた場所です。
神の家じゃなくこの世界に留まりたい??

これこそ自我の誘惑です。
分離の世界に留まり、存在し続けたい自我の誘惑です。

世界を美しいと思ったことすら自我の誘惑なんです。
喜びや楽しみもそうです。

愛する人、仲のいい友人達、大切な家族。
それらがもたらしてくれる喜びや楽しい時間、幸せな時間はとても魅力的です。
相手と自分は別々の存在だと信じているからこそ感じることです。
つまり分離の世界のこと。
それは実在ではなく幻想なのです。

「私」はいない。
「あなた」もいない。

初めは反発しました。

愛する人がいない?
いやだ。そんなの嫌だ。
いてもらわないと困る!

これこそ自我の誘惑です。


実在の世界とは、神とひとつである愛の世界だけです。
聖霊の見方で見る世界です。

聖霊の見方は、この物理世界で起きてる出来事も物理的に見えるものも
すべて幻想であるという見方です。
「私」という身体もないし、人もない。
過去も未来もない。
ただ目に見える出来事は私の中の信念が投影されている映画のようなものだということです。
その映画のシーンから、自分の中の信念に気づき、認め、
そしてゆるし、聖霊に無意識の罪悪感を取り去ってもらうよう願うのです。

これは生涯かけて行うゆるしの実践です。
これを続けていけば、この肉体を持ったまま、今この世界にいながら聖霊の見方で見ることができるようになると言います。

すべて愛にしか見えないというのです。

キリストの磔刑の時、
キリストの弟子がキリストを助けようと兵士の耳を剣で切りました。
その時、キリストは弟子も兵士も愛でしか見ていなかったので、
自分を十字架に架けるために捕まえようとしている兵士の耳をすぐに癒したのだそうです。


この世界をすべて幻想だということを受け入れることは、
この世界の楽しみ(に見えていたこと)をすべて放棄してしまうことのように見えますが、本当は違います。

すべてのことが愛にしか見えなくなるのですから、
美しいものはより美しく、
感動はより大きな感動に、
喜びは歓喜に感じられるのです。
自我に振り回されることなくです。



最近、誰かに不満や文句を言いたい気持ちはほぼ無くなってきました。
その感情が湧くことはありますが、それは自我の誘惑であることに気づき、
聖霊の見方を選ぶようにしています。

理不尽に感じる出来事もありますが、それは私の中にある無意識の罪悪感が見せる幻想であることを思い出し、ゆるしの実践をしています。

私は愛されないという信念から、愛されているという信念に変わってきたので、愛されているという出来事が多く起きるようになってきました。
許されるとか、受け入れられるとか、優しくされるとか。

それでもまだまだ神の家に還る道を歩き出したばかりです。
でも聖霊の導きによって、確実に神の家に還ることができます。
聖霊の見方でこの世界を見て、この世界をより楽しむことができます。

私のすることはゆるしの実践を続けることだけです。


Ruru


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