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奇跡のコース実践記録30

★パート2 真の知覚の獲得への取り組み

11. 創造物とは何でしょうか

レッスン 321
「父」よ、私の自由は「あなた」の中にだけあります。

レッスン 322
私は決して実在的でなかったものだけを放棄することができます。

レッスン 323
私は喜んで怖れを〝犠牲〟にします。

レッスン 324
私はただ後をついていきます。というのは、私は先頭を行かないからです。

レッスン 325
私が見ていると私が考えるものはすべて考えを反映しています。

レッスン 326
私は永遠に「神」の一つの「結果」です。

レッスン 327
私が呼びかけさえすれば、「あなた」は私に応えてくださいます。

レッスン 328
私は一番になるために二番を選択します。

レッスン 329
私は「あなた」が意図しておられることをすでに選択しました。

レッスン 330
今日、私は再び私自身を傷つけることはしません。


この世界は幻想で、実在的なものは何もありません。
私もありません。肉体も魂もありません。

そんなことを聞いたとき、さっぱりわかりませんでした。
何を言ってるのか理解できませんでした。
いえ、理解したくない!という強い抵抗です。
自我はそんなこと理解させたくないのです。
真実に近づけたくないのです。
いつまでもこの幻想世界に留めておきたいのです。
そうしなければ自我は消滅してしまうのですから。


この世界が幻想とはどういうことでしょう。
目に見えているものはいったい何だと言うのでしょう。

それは私の中にある信念の投影です。
強く信じていることの投影なのです。

このこともコースを実践するうちに、
本当にそうであることを体感してきました。



私は自分とペースの違う人と話すとき、
ついその人に合わせようとするところがあります。
早口であれば早口に。
テキパキしているようであればテキパキと。
これはとても疲れるのです。

以前は人に合わせようとしているとは思ってもいませんでした。
気づかずに人に合わせてばかりいたので、
人と接すること自体に苦痛を感じるようになり、
あえて距離を取っていた時もあります。

出会って間もない人の中に早口でハキハキと話す人がいます。
彼女は自分の感情をはっきり言う人のように見えました。
言葉は少しきついところもありますが、
相手を見て言い方を変えたり話題を変えたりできる人です。
自分で抱え込むところもあったり、仕事に対してはとても真摯で、
心根の優しい人です。

彼女の話すペースは私とあまりにも違うので、
私は彼女と話すとき少し緊張して構えてしまっていました。

彼女が楽しく話せるように、テンポよく返さなきゃ。
何か面白いと思ってもらえるようなこと言わなきゃ。

そうは思ってもできるわけもなく。
うまく話せません。
私はトロトロ話すし言葉もパッパッと出てきません。

彼女は私が彼女を苦手に思っていると感じているようでした。
私が気軽に話ないでいたからです。

彼女とも仲良く話したいのですが、どうしたらいいかわかりませんでした。

そんな状況が数ヵ月続き、
だんだん苦しくなってきたので、聖霊に問いかけました。

なぜ彼女に対して構えてしまうの?
どんな人に対しても私は私のままで接したい。

すると彼女の中に、私と同じような思いがあるのが見えました。

私は受け入れてもらえない

はっとしました。
それは私の中の深いところにある思いだったからです。

彼女が実際どう思っているかは問題ではありません。
私の中に、「私は受け入れてもらえない」という思いがあるので、
私が受け入れてもらえないと思えるようなことが起きるのです。
そういう人が現れるのです。


もう一人、私が気を使ってしまって自然に接することができない人がいました。
義母です。

このとき義母の中にも同じような思いが見えました。

そりゃそうです。
私がそう信じているので、同じような人、状況があっちにもこっちにも現れるのです。

それが嫌だと言って、その人から離れたとしても、自分の中にある信念は変わっていないのですから、新しい場所でもやはり同じような状況、人が現れるのです。


私は受け入れてもらえない

この信念があるのは、私の認識できない場所にある罪悪感が原因です。
神から離れて分離してしまった、神に罰せられると深く信じている罪悪感が原因です。

神に罰せられるような私は受け入れてもらえるはずがない。

この罪悪感がある場所は聖霊が知っています。
この罪悪感を取り去る方法も聖霊は知っています。
私にはどこにあるのか、どうやって取り去ればいいかわかりません。

だから聖霊にお願いします。
ゆるしの実践です。

私は受け入れられないと信じていたことに気づきました。
そう信じていたことを認めます。
その根元にある罪悪感をどうか取り去ってください。


ゆるしの実践を繰り返すうちに、私はいつも通りにしているだけなのに、
私のペースのままで彼女と自然と笑い合って話せるようになっていました。
義母とも自然に話せるようになりました。

聖霊の癒しが行われ、私の中の罪悪感の一部がほぐれたのです。
私の信念がほぐれたのです。

「私は受け入れられない」という信念がほぐれ「私は受け入れられる」という新しい信念に少しずつ書き変わって行ったのです。

私の信念が変わったので、目の前の状況が変わったのです。
「私は受け入れられる」という信念による投影が起こったのです。

私たちは自分の信念によって目の前に現れる出来事を創造していいるのです。

ありとあらゆる出来事は自分の信念に気づくために起きています。
ネガティブな感情になるような出来事なら尚更です。
自分の間違った信念に気づき、聖霊に癒してもらって正しい信念に書き換えてもらう機会となるのです。


自我に従って生きてきた私たちが、
自我ではなく聖霊の見方を選び、
聖霊の導きに従って生きることを決断した時、
ずっと私の中にいてこっそり導いてきた聖霊が、
喜んでしっかりと私の手を握りどんな時も一緒に歩んでくれます。
私の前を灯火を持って歩くのは聖霊です。


私たちが持ってしまった罪悪感はとてつもなく巨大なので、
忍耐強くゆるしの実践を続ける必要があります。

一度癒されたように思えたことがまた起きると、
がっかりして止めたくなったりもします。投げ出したくなったります。
これも自我の誘惑です。

このとき重要なのが私の決断です。
自我を選び、怖れや不安を抱えてこの世界に留まるか。
聖霊を選び、完全な平安へ還るか。
改めて選択し、決断し、聖霊の手を取るのです。


ゆるしの実践を繰り返し、信念を正しく修正していくことで、
聖霊が見るようにこの世界を見ることができるようになっていきます。
神の完全な愛の中に戻るのです。

それが神の意思です。

Ruru

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