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シェリー酒な女

もし私がバーで一人、自分の世界に浸りたい夜があったら、

迷わず、シェリー酒を選ぶだろう。

これが、ど定番のカシスオレンジのようなカクテルだとか、生フルーツをいっぱい纏ったカクテルなら、羽毛より軽い不埒な男がたやすく声をかけてくるに違いない。お酒に向き合わず、時折スマホでも触ってみせれば、「声を掛けて」と言わんばかり。そこで声を掛けてくる男は、その一夜、隣でニッコリ微笑んでくれる女がいたらいいの。私である必要ないわ。

ウイスキーなら、ちょっとだけハードルが上がるだろうが、最近ではウイスキー好きな男は少なくないので、それもやはり話し掛けやすい。正直、「俺、アイラ(ピートが効いたやつ)しか好きじゃないんだよね」って男は嫌い。「えー、素敵、通ですねー、私は飲めなくて」なんて、男のしょうもない自尊心アップに付き合うほど、私は暇ではない。ベー。せっかく、神に愛されたシングルモルトとうっとりするほど詩的な交じり合いをしていたり、バーボンの都会的なセクシーさを満喫している時に、私は話しかけられたくはないのだ。

ところが、シェリー酒となれば、結界が張られたように男の人が近づかないような気がするのだ。

シェリー酒。スペイン・アンダルシア地方で作られている酒精強化ワインのこと。おそらく、シェリー酒がワインの1種だということは、それほど知られてないのではないだろうか。

シェリー酒は主に、ぶどう品種のパロミノ種かペドロ・ヒメネス種、モスカテル種という白ワインのぶどう品種で作られている。これらの品種でまず辛口の白ワインが作られ、そのワインにブランデーを添加し、アルコール度数を高める。

それを熟成するために樽へ移すのだが、酸化しないように樽いっぱいまで入れるのではなく、写真のようにシェリー酒の場合は、70%ぐらいしかいれない。その30%の空間により、産膜酵母(フロール)が液面に形成され、独特のクリームやナッツの香味が付与される。それがシェリー酒。

「ワインであって、ワインではない」シェリー酒は、魔性の女、小悪魔な女といってもいい。それも天性のもの。シェリー酒は、若い原酒と古い原酒を少しずつブレンドしながら熟成する「ソレラ・システム」を採用している。名店のうなぎのタレのようなもので、シェリー酒の女はきっと曽祖母(ひいおばあちゃん)、いやもっと前から遺伝的に受け継いでいる。もしかしたら吉原の花魁だったのかもしれない
。私には逆立ちしても叶わないタイプの女性だろう。

シェリー酒は普通にワインを作っていたら、腐敗とも捉えられてもおかしくないような、ギリギリの香味で、人々を魅了する。有名なのはシングルモルトのロールスロイスと称されるマッカラン。「シェリー酒が入った樽以外を樽とは認めない」とシェリー酒を監禁するほどに溺愛している。「公然の監禁」はいつの間にか、甘美なものとして人々に受け入れられている。

樽にシェリー酒が染み込んだだけ。あるいはたった一滴ーーーー。

それだけで、シェリー酒は男どもを気まぐれに狂わす。それは、成熟したティンカーベルのようだ。彼女はあなたの周りで幻覚を見せるように、踊り続ける。掴もうとしても、ふっと消え、また耳元で「私が欲しいの?」と囁き、また消える。残念ながらティンカーベルはピーターパン以外には全く興味がない。ただ、気まぐれでちょっかいを出してるだけなのに、男は気がつかない。

黒目が大きく、陶器のような肌。なのにお人形さんほどのつまらなさはなく、むしろ生々しく、ちょっとしたことでキャッキャと笑い、大きな目にいっぱいの涙をたたえたと思えば、親を見るように安心した表情を見せ、それがあたかも自分だけに向けられたように男は錯覚する。泣いて怒ったと思えば、またニッコリ微笑む。雨上がりの虹がかかった空のように。男ではなくて女でも、堪えきれず、抱きしめてしまうだろう。

シェリー酒は辛口で軽めなフィノタイプから、深くて甘いモスカテルや品種名と同じペドロ・ヒメネスまであり、万華鏡のようにくるくると表情を変える。止まることなく、あなたの周りで踊り、そして最後は消えるの。

産膜酵母がシェリーの世界をぎゅっと閉じ込めるように、シェリーな女の世界はどこか俗世から閉ざされ、妖艶に纏いつく。それはまるで竜宮城の乙姫のようだ。いっときでも甘美な世界を味わったら、そうそう彼女を忘れることはできない。浦島太郎を笑えるものなど、本当はいないはずだ。

結局、浦島太郎になる覚悟がなければ、ダメということなのだろうか。

さて、冒頭に書いた、「バーで自分の世界に入りたい時」にシェリー酒を選択するのは、決して、シェリー酒のような妖艶な女になりたいからではない。

繰り返しになるが、シェリー酒はワインでありワインではない。不思議なお酒。そんなに知られていない。「ワイン、あれ、ブランデーかな?」と話しかけられて、「シェリーです。今日はアモンティリャードの気分なので」とニッコリ微笑む女に、話を続けてくる男はそういないはず。「ははっ、お酒詳しいんだね」って決まり悪そうに去ってくれるだろう。万が一、シェリー酒の知識がある男だったとしても、つまらなさそうにグラスに目をやるだけで、大丈夫なはず。

それでも様々な切り口で話しかける、自信のある、いい男がいるのなら。

そうね。一人の夜にしなくてもいいのかな、って思えるかも。

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