♯10 社会人になってからの出会い

看護学校を卒業後、祖父母の家を出た。
田舎から出て都会に行きたかった。

社会人になってからは、転職をしながら色々な人と出会い
段々と自分の両親について疑問を抱くようになる。

1、母親
借金のある父親の悪口しか聞いたことがない。
そのため、私の中で父親は悪者になっていた。
しかし、借金はあるものの仕事は真面目に行い、学費は全額出してくれた。
その他、別居した母親・妹に対して生活費も送金していたよう。
母親もパート勤務はしていたが、自身の好きなアーティストのライブに行ったり
DVD、グッズを購入していた。祖母や叔父に借金を返している様子はなかった。
自分の借金ではないという思いもあったよう。
加えて、やたらと私に父親と連絡を取るよう勧めてきた。
おそらく、自分が不利になると生活費を振り込んでもらえないようになるので
それを避けたかったのだろう。

2、父親
祖父母、叔父への借金は許し難い。しかし自分が離婚した家族で苦労したのか
子供たちには迷惑をかけないようにと、学費・生活費は出している。
妹とは仲がよく出かけている。

3、妹
別居する際、妹は現状をよくわかっていなかったよう。なぜ父親と離れて
暮らさなければならないのか、自分は父親の元に残りたい、父親のところに
行きたいということも言っていたので妹にしてはいい父親なのかもしれない。


今まで私は、父親が悪、父親だけが悪いと思っていた。
しかし自分で金を稼ぎ生活をすると、お金を稼ぐということがどれほど大変な
ことかということを知ることができた。
父親は複雑な家庭環境のもと、1度結婚生活に失敗し2回目の結婚も成功とは
言えない。しかし、私が救われたのは父親が子供のことを考えてくれたこと。
なんだかんだ、離婚せずに別居という形をとったことで母親の老後の生活や
世間体、子供たちへの金銭面をはじめとした様々な方面への支援も行うことが
できていたのではないかと思う。
妹だけは何も知らない、おそらくお年玉も使われてはいないと思う。
そう考えると父親と一緒に暮らすことができなかったのは悲しいことかもしれないが、あのままの生活を続けていれば私と母親が耐えられなかっただろう。
私の家庭は別居という形が1番いい距離感だったのだと思う。

私は就職をきっかけに地元を離れ、ほとんど帰っていない。
やはり心のどこかで母親を信用しきれない気持ち、老後の世話はみたくないという
気持ちがある。許すことはできない。
大人になってから「しょうがなかった」と思う気持ちもある。
親だって初心者であり間違えることはある。
私の救いは、祖父母、叔父、学校生活をまともに送ることができていたこと。
周りの人に救われたと思う。

そして、立派ではない理由で看護師になった。
辛いこともあるが一人で自立した生活を送ることができているのは、この職業の
おかげ。そして私が看護師として仕事ができているのは出会って育ててくれた、患者さんのおかげだと思っている。
だから、看護師を続けることでこれから出会う患者さんへ還元していけたらいいと
思う。
そしてこれから看護師になろうと思っている学生たちへ。
私だからこそ伝えられること、一人でも多く素敵な看護師になって欲しいと願って
指導を続けていきたいと思う。

                                                                                                                            risaco.

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