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「誰かを失ったときの痛み」とは?

先週末、いろんなSNSをザッピングしていたら、インスタで宇多田ヒカルさんが生配信をしていた。(歌をうたうのではなく、ファンの質問に答えていくような雑談的な生配信)

そこで取り上げられた英語での質問。
”Why is getting over someone so painful?“
「誰かと別れると(恋愛でも友達でも死別でも)、立ち直るのにどうしてこんなに痛みが伴うの?」みたいな感じかな。

それに対する宇多田さんの答え。
(私が聞こえたままにザザっと書き起こしただけなので、正確でないところもあると思います。)

“I thought it’s an interesting question, because I hadn’t really thought of it that way... thought of that before. But I think sometimes when the relationship ends, or you lose someone, sometimes I think it’s maybe if it’s painful, I think maybe the pain was already there to begin with, and maybe the relationship was serving like a painkiller, a distraction...Something to take your focus away from yourself for the pain you have inside already. And sometimes when you lose the crutch you feel that difficult to with the pain again, I think there’s a better thought because no matter how much you try to stay not too codependent or addicted to stuff like that, it can be a bit of like a substance, if you have pain already. At least that’s what I’ve learnt from my own experiences. “

すごい。
聞いててどきどきした。

私は翻訳家ではないし英語も得意なわけではないので、特にアーティストの発言を勝手に他言語に訳して、こう言ってましたって載せるのには抵抗がある。だから「あくまでも私の解釈として」少し要約すると…

“誰かを失うと痛みが伴うときもあるけれど、その痛みは初めからあったものなのかもしれない。たぶんその人間関係が鎮痛剤の役割を果たしていたようなものだったのだと思う。既にあなたの内側にある痛みから気をそらしてくれていたもの。支えになるような人を失うと、また痛みで苦しんだりする。どんなに依存しないように気をつけていたとしても、そういう関係性(存在)は薬物みたいなものになり得る。痛みが既にあるのなら。自分の経験からはそんなことを学んだかな。“

失ったから痛みが生じるのだと、私はよく考えもせずに思っていた。でも、初めから痛みがあった、とすると、あれもこれも、自分の経験した別れのつらさが今までよりも納得できていくような気がした。
傷ついた痛みとは違う、自分の中から湧き出てくる痛み。
初めも終わりも、みんなが等しくひとりなんだもんね。

ほんの一時的に気を紛らせる何かが必要なときもある。でもその紛らしはあくまでも幻のようなものにすぎない。その幻をずっと追い続け、見続けてしまったら、それはたしかに薬物中毒と似ている。

誰かと過ごす時間が、結果的に痛みを忘れさせてくれていたのなら、それはただ素敵なことで、ありがたいことだと私は思う。
でも、それが目的になったら違う。
それが原因になったら違う。
そんな気がする。 


宇多田ヒカルさんの新曲「Time」はサウンドが心地良くてとても好き。




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