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明日も見えないのに

地獄の時間

たまに「俺はあと何年生きれるんだろう」と考えてしまいます。
考えるだけ無駄な気もするし、最期への不安と恐怖が積み上がっていくだけな気もします。

深夜のふとした瞬間、特に"ラジオを聴き終わって心が独りになった時"にこれに陥ることが多いです。

逃避がしたくてタイムラインを更新し続けるも、15分前のツイートから一向に更新されない。
更新された!と思っても、全部オリコンニュース。

知らないグラビアアイドルの写真集発売?
全く興味ない。
心の底からどうでもいい。
そう思いながら、先行カットを見るために律儀にリンクを踏む。

画面パンパンに表示される広告が本当に鬱陶しい。


………。

なかなか寝付けず、ネガティブな思考が捗りまくる"地獄"の時間は続く。



一度きりだとかなんだとか

#125 「やらないで後悔するよりやって後悔する方がいい」を考える】を書いてから結構時間が経ちましたが、この時の考えからまだ変わっていません。
失敗しないならそれに越したことはないと今でも思っているし、"やらない現状維持"という選択肢を今でも積極的に選んでしまっています。

でも、この考えが揺らぐ瞬間や揺らいだ時がありました。

1つ目は、上で挙げた「俺はあと何年生きれるんだろう」と考え始めてしまった時です。
その瞬間は「一度きりの人生だから」とか「やらないで後悔するよりやって後悔する方が良い」みたいな考え方にすごく納得している自分がいて、自分で自分を俯瞰していて驚きます。

でも、そんな気持ちは霧の如く一瞬で消えて無くなってしまいます。
「何を俺は思い上がっているんだ」「調子乗んなアホ」「いままでそんなことできた試しがないのに、ムリだろ」「でもお前カスじゃん、何もできないじゃん、何もしてこなかったじゃん」「今更ww」と自分が自分に言ってきます。

2つ目は、成人式の後の同窓会に行かなかった時です。
同窓会に行かなかったのは、「苦手な人と会って後悔する」のが嫌だったからです。
同窓会に行って”後悔”しない世界線もあると思いますが、そもそも行かなければそんな後悔をしないと思ったからです。

僕は本気でそう考えていたから、成人式の後は「仲のいい友達と少人数で食事をする」という選択をしました。
実際、食事の最後の方で「同窓会に行かなかったの後悔してる?」というような話になりました。
友達は「これはこれで楽しいし、後悔はしてない」と言っていました。
でも僕は、やっぱりそこに「会いたくない人に絡まれるよりは」という意味が含まれているなと思いました。

とどのつまり、僕らがしていないのは"苦手な人と会うことで被る後悔"であって、意識外にはおそらく別の後悔があります。
終わってみて初めて、僕は意識外にある後悔に気がつきました。

僕が今している後悔は、"同窓会に行かなかったことで、もう二度と話さないことが確定した友達がいる"ことです。

僕は高校受験が終わってようやくスマホをゲットしました。
僕はギリギリまで受験をしていたので、中学の友達、ないし小学校や幼稚園からの友達とスマホを持った状態で遊ぶ機会がありませんでした。
それゆえに、連絡先を交換するタイミングが全然ありませんでした。

「仲は良かったけど連絡先を持っていない人がたくさんいるから」
「もし連絡先を持っていても自分からは誘えないから」
これが”もう二度と話さないことが確定してしまった友達"が生まれた主な理由です。

月曜日の朝、毎週のように「今週のONE PIECEえぐかったな!」と会話した吹奏楽部の友達も、
小5くらいの時に「進撃の巨人って漫画が面白い」と教えてくれていた身長の高い陸上部の友達も、
中学の部活で一緒に部長・副部長を押し付けられた友達も、
やたらと俺に「消しゴム貸して」「修正器貸して」と言ってきて、やたらと席が隣になった女子も、
一緒に修学旅行に行った班の人たちも。
俺は誰の連絡先も持っていない。
同窓会で会えば連絡先を交換することくらいできたのかもしれないけど、俺は行かなかった。

今後も同窓会が催されるかわからないし、会いたい友達が来てくれるのかもわからない。

後悔にはおそらく
0をマイナスにしてしまったことでする後悔
プラスかもしれなかったものを0にしてしまったという後悔
の2パターンがあるのかもしれません。

主観的になっている時に見えるのはおそらく”マイナス”や"損"がちらつく前者の方で、それを潰すことが人生における選択として正解に思えてきます。
でも不意に客観視した時に後者の後悔が顔を出してきます。

後悔が全くない選択肢なんて恐らくないんですよね….。

行動に移すことで被る後悔は、行動に移さなければ関係のない話です。
行動に移さなかったことで被る後悔は、行動に移せば関係のない話です。

これらは常に二律背反で、両方を潰すのは無理です。

それでも「後悔をしたくない」と思う自分がいて、「よりダメージの少ない後悔」を選ぼうとしてしまうさが



変な方向に、歪に、大きくなってしまった自意識が本当に煩わしいです。。。


恋愛相談

去年末に書いた【恋愛についての個人的な考察】だって、成人が書く内容じゃないんですよ。
俺が書いたような レベルが低くてカスい悩みや考えは、"自意識”みたいなのが芽生える前とか記憶が薄れていく小・中 (・高)くらいで勢いに任せて学んでおくべきだったんですよ。
恋愛って、多分人生の早い段階で既に必修科目だったんでしょ?

そう思い始めると、なんだか急激に萎えてきます。

僕が単位を落としたのかそもそも履修しなかったのか分からないですけど、とにかく僕は下級生に混じって授業を受けないといけないことになってるんですよ。


昔からずっと「相談事ってなんで恋愛関係が多いんだろう?」と疑問でした。
地上波・ネット問わず、ラジオのシンプルな相談コーナーを聴いていてこれを強く思っていました。
僕はいつも「もっと自分自身の内側で悩むことはないんか?アホ」と思ってしまっていました。

ラジオなどにおいて恋愛の相談が多い理由を何度か考えたことがあるのですが、一つは相談の相手が「全くの無関係である」というところにあると思います。
相手と現実では全く無関係で、自分は仮名で偽ることができて、"現実の人間関係への悪影響があるかもしれない”というリスクを負わずに教えを請えるというわけです。

これ以外の理由なんかねぇだろ!と僕はずっと思っていたのですが、「進撃の巨人」を読むようになってからそれ以外の理由も思い浮かぶようになりました。
シンプルに、「恋愛」というものが占める割合が大きいんでしょうね。

世界の残酷さをどれだけ目の当たりにしていようが恋愛感情は芽吹くということ。
そもそも、種としての存在目的は「増えること」にあること。

この世は思ったよりも恋愛で成り立っていて、それを営むことが人生の根幹を成すことが多いということ。
しないことが"悪"だなんてことは全くないです。(俺もしてないですから。)
ただ、周りを見渡すと、恋愛をすることが一般的に思えます。

これまでそんなものとは無縁の生き方だったので気が付きませんでした。

こういったものを”必要”だと思ったことが微塵もなかったので。



バイトの暇な時、マジでやることがなくてDJ松永さんがルーティン中に手を擦り合わせたりする仕草みたいなことをしてしまいます。

この前のバイト中もそれをして、不意に祈りを捧げるみたいに両手を組んでみました。
少しひんやりした指先がじんわり温まっていく感覚と、その冷たさが広がっていく感覚が同時に押し寄せてきました。

なんですかね、これの相手が異性とか好きな人とかだったらいいなぁとか思ってしまいました。

流石に暇を極めすぎですかね。

「冬は手なんか繋ぐより手袋したりポッケに入れたほうがあったかいだろうが、頭沸いてんのかアホ」って本気で思ってましたけど、「なるほどな〜」とちょっとだけ思いました。

まぁ、手袋した方があったかいんですけどね。
「そういうことじゃねぇんだよ」という声は甘んじて受け入れます。




話を戻します。
友達とお酒を飲んでもすぐ恋愛の話になる。
でも自分には話せる話がひとつもない。
そういった恋愛に関する弾を込めてないと、とくに大学生は飲み会に行ったらダメなんだろうなと改めて感じました。

でも、生きる上でこれだけ大きな割合を占めているのであれば、そりゃお酒を飲むとしたくなっちゃうんでしょうね、恋バナって。
したくなる気持ちにはまだ共感できませんが、僕は否定しません。
だから否定してこないでください。

繰り返しになりますけど、「悩みがそれしかない能天気な奴ら」というより、普通に(脳なのか心なのか人生なのかは分からないですけど)占める割合が大きいんですよね。。。


所属先

雑記③『成人式関係+α』」にも書いたのですが、僕は余程のことがないかぎり”所属先”がないと恋愛は始まらないと思っています。
"所属先"は、会社とか、部署とか、学校とか、クラスとか、部活とか、サークルとか、そんなもんです。

で、最近僕がフォローしている人がマッチングアプリに登録したとツイートしていたり、フォローしている人の「マッチングアプリで実際に会った」みたいなnoteを読んで気がつきました。

社会における”所属先"がなくても始める方法があるのか、、、と。

ただ、自分には絶対できないなと思う理由があります。

根底として、「〇〇さんですか?」なんて絶対に話しかけられません。

ラジオリスナーの方と初めて会う時に似た体験をして、その一瞬の精神のすり減り方は凄まじかったです。
その日一番エネルギーを使ったと思います。
体力ゲージは赤くなり、ピコンピコン鳴っていました。
(「まんたんのくすり」を持っていれば良かったです。)

友達に話しかけることも、友達の名前を呼ぶこともできないんだから、そりゃ一筋縄ではいかないわけで。



上で「"所属先"じゃないと恋愛は始まらない」と言った側から、ダブルスタンダードなことは重々承知なのですが、
"所属先"で恋愛をするのは僕には無理です。


仮に"所属先"をバイト先と仮定します。

まず「告白された」場合、
断ると一瞬で居心地悪くなるじゃないですか。
付き合って変に気を使われると苦しいじゃないですか。
その後別れても居心地悪いじゃないですか。

「告白した」場合も同じです。
断られると一瞬で居心地悪くなるじゃないですか。
もちろん、付き合って変に気を使われると苦しいじゃないですか。
もちろん、その後別れても居心地悪いじゃないですか。

バイトなんて、なにも考えずにただ金を稼げる場所であってくれればいいんです。

他にはなんの要素も何もいらないです。
趣味に使うための金さえ稼がせてくれりゃそれでいい。


切り捨てることができる人間関係①

言い方が悪いしさらにダブルスタンダードを重ねてしまいますが、なぜか「切り捨てられる人間関係」に対しては強気に出れる自分がいます。

僕は相手がどこの誰であろうが、今後一生合わない人であろうが、変な印象を持たれるのが嫌で、自意識が過剰になってしまいます。

でも、どういう行動原理か知らないですけど、「今後会わないならいいか」と思える瞬間がたまにあります。
結局、いつも”0をマイナスにするタイプの後悔”をしてます。
やらなきゃ良かった、って。



バイトを始めた時、1年くらいで辞めてやろうと思っていました。
でも、大学卒業するまでなんだかんだ続ける気がします。


バイトの先輩に「この前、あそこのスーパーいました?僕見ましたよ」と言われたことがあります。
バイトの先輩と道ですれ違った時に会釈されることもあります。

正直、めちゃくちゃきついです。せっかくの休みなのに。

生活圏が同じなら、下手に顔見知りになった時点で僕みたいな人間の負けです。
もう完全なる他人には戻れないんですから。

恐らく、下手な時期にバイトを辞めるとさらにめんどくさく感じてしまうので、意地でも辞めないです。


切り捨てることができる人間関係②

上に挙げた「切り捨てられる人間関係」は、実はSNSが最たるものだと思います。
こちらはアカウントを消すだけで問答無用で人間関係を断ち切れます。

電話番号とかを交換していたらまた別ですけど、SNS上の人格を完全に切り離すことができるので、消しゃあのうのうと現実世界を生きることが可能です。

そこで改めて色々考えてみた結果、自分がSNSの人間関係を断ち切れない人間であることに気がつきました。

無理です、絶対に。

そこで、「切り捨てられない現実の自分」「切り捨てられないSNSの自分」の他に「切り捨てられるSNSの自分」が欲しくなりました。

全くの別の人間ということにして、Twitterやnote、その他SNSアカウントを作ったりしました。
でも、すぐに消してしまいました。

詳しいことは「#153 優しいSNS」「#155 捨てられなかった側」「#156 自意識過剰のジレンマ」を読んで頂ければ良いのですが、要約すると【自分の中で想像以上に承認欲求みたいなものがデカくなっていた】からです。

上に添付したnoteでは「GravityというSNSを始めてすぐに辞めた」という話が書いてあります。
いつでも切り捨てられるSNSとしてGravityを始めたのに、初っ端からとある人とDMが始まってしまいました。
メッセージの返信を考える時に推敲しまくってしまう自分」を乗り捨てて、「多少失礼な言い回しでも何も気にせず送信できる人間」になりたかったんです。
でも、実際DMをしながら「いや俺めちゃくちゃ推敲してんじゃん」ってなってしまいました。
僕がやりたいことと違ったので、DMを送ってきてくださった方には本当に申し訳ないのですが思い切って辞めました。

それからはしっかりとしたツイ廃として生きてきました。

ですが、最近Gravityに類似したアプリを2つ発見しました。

一つ目は「焚き火」というアプリです。
こちらは「名前・性別・ひとこと」を設定するだけで始められます。
Gravityとは違い、「フォロー」という仕組みはありません。
利用者が少ないから成り立つシステムですが、利用者のつぶやきが全部みれるタイムラインがあります。
気になったつぶやきに対しては4種類のリアクションと投稿者本人へDMを送ることができます。
その他に、グループチャットの機能もあります。
変なアップデートがされる前のGravityに似ています。

二つ目は「月見言」というアプリです。
こちらは何も設定がありません。
「Gravity」「焚き火」と同様に、こちらにも利用者のつぶやきが全部見れるタイムラインがります。
そして、つぶやきには「★を送る」「★とメッセージを送る」という機能があります。
このアプリは「その人のつぶやき一覧」みたいな機能がないので、送信者がどんな人かとか、どのつぶやきが誰のものかとかは分かりっこありません。
その瞬間につぶやきをみた人とその時だけのやりとりができます。
同じ人の呟きを見ることだってあるとは思いますが、同じ人だとは分かりません。


切り捨てられる関係性を作るのであれば、正直「月見言」は完璧です。
そもそも人間関係が構築されないわけですから。

「いつもリこの人はアクションしてくれる!」みたいなことがないわけですから。

実際、この2つのアプリを見つけたことをきっかけにGravity、焚き火、月見言を全部やってみました。

「Gravity」は、音声通話機能みたいなのが追加されていて、病みTwitterみたいになってました。
もう二度とやることはないかな、って感じです。

「焚き火」は、自分が初めてやった時のGravityにそっくりでちょうど良かったです。フォローの機能がないのがちょうど良いです。

「月見言」は、承認欲求みたいなものは全く満たされないです。
心のどこかで「この人に見られている感」みたいなものが欲しくなってしまうし、くうに言葉を投げている感じが強くてやりがいがありません。

結局、Twitterに戻ってきてしまいます。
それも、今使っているアカウントに。

そもそもの話ですけど、新しくもう一度始めて今くらいの関係を築き上げるの難しすぎませんかね。
承認欲求、自己顕示欲のせいなんですかね……….。

そんな自分が心の底から嫌いです。


雑筆

足が速い人がモテてたんじゃなくて、モテてた人が足速かっただけです。


こちらがいくら「可愛いなぁ」「素敵だなぁ」と思っても、相手の「かっこいい」「素敵」のレンジにはいないわけでして。


「自分でなくてはならない理由」なんて、どこにもない。
逆に、自分じゃなきゃ誰でも良い。





#231  明日も見えないのに



羨望の眼差し
卑屈を正当化する術が
どんどん上手になってきた
要らない要らない

明日も見えないのに 終わりを見据える僕ら




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眠れない夜に

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