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多様性ポルノ、はじめます。

先日少し書き始めてから、また数日。
ロシアの侵攻をはさみ、内外ともにまた大きな動きを感じつつ。

こんなに書くことに体が抵抗してるのは初めてかも。。
手帳には日々言葉が積もっていく。
今夜は書くぞと意気込んだが、2時間PCすら開けずに別のことをして、
やっと文字おこしを始めたら、寒気がする。笑

「勇気を出して愛する」のは、ほかの誰でもなく自分である。

「跳ぶより、降りる方が大事。」
娘のバレエの先生の言葉は、生き様への助言としても素晴らしく
いつも感動して持ち帰る。

とりあえず「跳んで」ヌードになることの勇気とは比べものにならない。

いのちの衝動による表現のその先。
湧き上がってくる自分というものに「降りて」
逐一素直に向き合い、受け入れ、ゆるし、理解し、次の表現に向かう。
その過程のざわつきや驚きや、ひらめきや苦しみにきちんと委ねる。

ここからが本番だ。
オレの言葉をつむぐこと。
心底望んでいるはずが、相当に恐れをなしている。
嘔吐。寒気。サルトルをなんとなく思う。

私は絶えず様々な声の中で生きているから、頼りにしているのは動物的勘であるが、
夫や子どもたちの勘もいい。
いつも私の状況にシンクロして、本や映画や歌、話題をチョイスしてくる。

直木賞をとった「正欲」。
夫がその本を買う前、概要とも言えない、わずかな作品の説明をきいて、

 「多様性ポルノ」 

という言葉がふいに自分から出てきた。

多様性 というそもそも流行りのような
無数の個性をかえって
何かしら名があるものの集合体のように勘違いをさせがちな乱暴な言葉にもなり得たり、
使う状況や人によってはいくらでも軽薄に使うことができてしまう言葉でもあろう。
そのうえで、その多様の中の一個性としての
具体的な自分の例をあえてプッシュしてさらしていくこと
一つの役割のようにとらえ始めている。

「感動ポルノ」という言葉が印象的だった。
感動の押し付け。人生の見世物化。
「だれかを感動させるために生きているわけではない。」
2012年ごろから人権活動家が使い始め、身体障碍者のコメディアンの動画が有名になった。

「ポルノ」の意味として、
性的興奮を起こす表現や、意図を強引に押し付けようとすること、がある。

私は書くことをライフワークにしている時点で、ある程度の露出癖は当然あると自覚はしていたが、
近年自身の特性をよりクリアに自覚し始めてからは、

「個に内在する無限の多様性」を表現することが、
他者や自然や宇宙の多様を示唆し、
ゆたかに多様性が生かされる社会の実現につながることを
祈るようになってきた。

そういう意味で、私という存在や、世に放つものが
「多様性ポルノ」として消費されてもいいと思っている。

私の言動、行動力や勇気が、
ほかの誰かの励ましや気づきにつながるなら。

あらゆる閉じ込められがちな感情や欲求、精神の解放が、
未来の子どもたちのすこやかな育ちにつながるのなら。

私は男にでも女にでもなるし、脱ぎも着もする。
凸凹の楽しみも苦悩も 書き続け、話し続けるだろう。


夫は読破後、私がつぶやいた言葉の真意を改めて聞いてくれて、
私自身のこと、性自認や表現しようとしていることや、
しごとで実現しようとしていることも、うんと話しやすくなった。

私が「押し付けよう」としている、あらゆる多様性が生かされる世界は
限りなく複雑で、その複雑さのままに 豊かで、美しい世界だ。
大自然としての生き物そのものに立ち返った時にひろがる
無限のつながりなのだ。

2022.2.28 記

写真(作品部分) TETSURO HIGASHI  https://tetsurohigashi.com/ 
共同作品 上記HP内 TRAVELER OF TIME シリーズ

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