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ドーナッツの真ん中

ドーナッツが好き。
たまに何だか食べたくなる。
それも着飾った甘いカラフルなものではなく、昔ながらのおばあちゃんが油で揚げたような、あの穴のあいたシンプルなドーナッツ。
お砂糖がパラパラと振りかけられた優しい甘さのドーナッツ。

ドーナッツの真ん中に見える景色は遠い日の思い出。

右回りでドーナッツを食べてみた。
私はおばあちゃんと硬い椅子の鈍行の汽車に乗って、親戚の家へ向かっていた。
汽車が駅に着くと、べんと~べんと~の声が聞こえてきた昔。
当時は四角い木箱を首にかけ、駅弁の立ち売りのおじさんがホームを走り回ってお弁当を売っていた。
きっと汽車の停車時間も長かったのだろう。
「待ってなさい」と言われた私は保育園に入る前だったから、たぶん4歳くらいの記憶だと思う。
私がひとりでおばあちゃんを待っていると、汽車がゆっくりと動き出した。
しかしおばあちゃんが戻ってこない。
私の記憶の中で初めて、不安という感情がこの時芽生えたのだと思う。
泣いた記憶はないから、一生懸命我慢していたのだろう。
すると、おばあちゃんがニコニコしながら、バニラアイスのカップを持って戻ってきたのだった。

親戚の家で過ごしていた日、私はおばあちゃんとお昼寝をしていた。
お昼寝が終わったら、そうめんを食べようね。
おばあちゃんが言っていたのを今でもはっきり覚えている。
今思えば、この時おばあちゃんは具合が悪くて横になったのかも知れない。
私がお昼寝をしている横でおばあちゃんは息を引き取った。
目が覚めた私は、親戚のおじさんが運転する車に乗せられ、郵便局へ向かっていたのだろう。
当時電話はまだお金持ちの家にしかなく、緊急の連絡は電報の時代だった。
その頃の私には理解できるはずもなく、だんだん空が暗くなり不安な気持ちで車に乗っていたことを覚えている。
もしかしたら、バニラアイスを持ったおばあちゃんが戻ってくるとでも思っていたのだろうか。
次の日、父と母がやって来たのだが、その後の記憶は私にはあまりない。

左回りでドーナッツを食べてみた。
青森県下北半島の霊場恐山には、死者の魂を呼び寄せ言葉を伝えるイタコと呼ばれる人がいる。

おばあちゃんが亡くなってから十数年が経ち、あの日私を車に乗せて連れ出してくれたおじさんが亡くなった。
数年後、おばさんが恐山のイタコさんに口寄せをしてもらいに行くと、そこに現れたのはご主人ではなくおばあちゃんだったという。
そしてはっきりと私の名前を言い、〇〇は元気か?と聞いてきたのだという。

くるくる くるりん。ドーナッツを回しながら食べる。
あれからたくさんの不安があったけれど、
これからもまだまだたくさん不安があるけれど、
きっと私はいつもおばあちゃんに守られているに違いない。

ドーナッツの始まりの終わりをひとくち。
やがて景色はだんだん薄れ、そして消えてしまった。
ドーナッツの真ん中の景色。

今日はドーナッツ美味しいかったよ!
きっとそれでいい。
それだけでいい。
明日の不安を考えてもしょうがないから、
私はおばあちゃんのドーナッツが好き。


お茶にしましょう
今日はドーナッツ
右回りで食べる?
それとも左回り?

私が美味しいと思った最初の記憶はたぶん4〜5歳
バニラアイスでもなくドーナッツでもなく
なぜか出前でとった温かい蕎麦だったような

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