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主従関係3 --噛み合わない部分

 こんばんわ、乙訓野添です。このシリーズ、何本で構成するか考えずに始めたのですが、頭に浮かんだ事を忘れない内に書き進めます。

 「主従関係」そして「主従」における思慕について、前回までに考察しました。当たらずも遠からじだと思っています。ただ、先に「主従関係」の実態を述べる事を試みたのは、その主従という関係で、軋轢が結構起きているのを見かけたからです。
 というのも、悩める従者さんが少なからずいたからです。その悩みというのは、

曰く、多頭されてた
曰く、複数を強要された
曰く、連絡をくれない
曰く、貢がされてる
曰く、出来ない事を断ったら奴隷失格だと言われた

 などなど。要するに、主側としては、従側が従って当然という認識なのですが、従者さんも人間ですので、嫌な事はありますし、好きな人のためだった耐えるけど、他の人は嫌というのは当たり前です。ましてや、好きなったご主人様から、奴隷である事を否定されるのは、断腸の思いでしょう。この手の話しを聞いて自分が思うのは、この従者さんは、恋愛したい人であって、好きになった相手に好きにされたいし、また頑張りたいけど、好き気ままに支配されるのは違和感を感じてる。好きな人のために頑張りたいけど、嫌な事を断るのは奴隷として許されないの?という感情になっています。
 主従関係の立ち位置で即断すれば、許されません。だから主は許しません。そんな生半可なM女は願い下げです。これが主従関係の主の本質です。これが女性の主なら、速攻で解雇ですが、男の場合だと、ストライクゾーンが広いので、どうにかこうにか使い物にしようと、脅したり甘言を弄したりで、女性従者さんを振り回しまくります。

 自分はこの手の話しを聞いて、ちょっと思い当たる事がありました。それは以前に書いた緊縛事故のことですが、そうした事故を起こした縛り手は、大抵と言っていいほど、寄り添いもせず治療費も払わず、バックれています。

 その話しを聞いた時、随分と思い遣りや責任感のない話しだと思ったのですが、相手を支配し好きに使う事に快感を感じる主従の主なら、そういう手合いがいても不思議はないかな、と感じました。全員がそうとは思いません。無論、恋愛が軸でも無責任な奴はいます。しかし、性質的に、主従の主にその手合いが多いと感じてしまいます。
 緊縛事故だけでなく、ノーマルの女性を沼らせて、好き放題使って、傷物にして捨てた、という様な話しも散見します。思い遣りの欠けらもない話しですが、そもそも思い遣りをベースとしない関係の人間の仕業ですから、それを責任追及できるのは、法的にしかない様に思います。


 しかし、実際問題として、その責任を法廷で明らかにするには、莫大な時間と費用がかかることから、大抵は泣き寝入り、心を病んで終わり、ということになるでしょう。そこまで行かなくても、男性とSMへの不信感は残るでしょう。
 これを防止するには、SMには恋愛をベースとするものとしないもの、どちらも「主従」という言葉を使い、混同しやすいという事を理解しておく必要がある思いました。これは別に女性従者に対してだけでなく、男性主に対してもそうで、主従従者の女性に「自立しろ、依存するな」と叱るのは、酷である事を知っておくべきだと思います。

 自分が「主従関係」と言ったものに理解を深めようとしたキッカケは、こうした悩み事を聞かれる事が多かったからです。そして、これまでの自分の経験だけでは、その悩みの本質には迫れなかったからです。
 結局ところ、いくら自分が相談にのり、アドバイスしても、好きになった人の事を信じたい、「大丈夫」と言ってもらいたいのが従者さんの本心ですから、無為無用な事でした。なので、各自、覚悟と冷静をもってお付き合いしてください。

 今回のnoteはここまで。現時点でお相手のいない自分が、お相手のいる人の相談乗ってる暇があっただ、自分のことを先にしろ、と最後には思いました。


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