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【ショートショート】 港住吉大社|御朱印GIRLS

 ある展覧会へ向かう途中。公園の中に神社を見つけた。
 行きに立ち寄るには信号を渡るという苦難があったため、帰りに参拝することにした。だから今、私は信号待ちを食らっている。

第5番所


 そういえば、小銭を参拝用の小銭入れに移しかえてきてしまった。お財布の中身を確認すると、100円玉と10円玉、1円玉しか入っていない。縁が遠のくと聞いてから10円だけでお賽銭を納めたことはないし、1円だけでは心苦しい。かといって、100円を投げ入れるほど裕福な自覚はなかった。11円で何か縁起のよい話はないかと思ったが、良い縁――いや、残念ながら思い当たる節はなし。 ちょうどお昼も食べてなかったし、記録的猛暑日だというのにお水も持ってきていない。そのせいか、展覧会を楽しんでいる最中に気持ち悪さに襲われた。 この状態で参拝とは。それも失礼に当たる気がする。仕方ない。お水を買おう。そしてなにか食べ物も買おう。 信号を挟み公園の隣にあるコンビニに立ち寄って、小さなスポーツドリンクとラスクが二枚入ったお菓子を買った。再び信号待ちを余儀なくされている間、スポーツドリンクで喉を潤す。 一息ついて、頭も回り始めたか、また嫌なことを思い出した。

 御朱印帳、持ってきてないや……。

 参拝に行く予定はなかったのだから、持ってきてなくて当然だ。しかも、つい先月、1冊目がいっぱいになって、9月に京都へ買いに行こうと思っていたところだった。
 こう言ってしまうとなんだか罰当たりな気がするが、私は御朱印帳はデザインで選ぶと決めている。今度は京都の西院春日大社にしようと決めていた。これは私のこだわりで、大変恐縮だが、どうか許して頂きたい。と、誰にともなく陳謝する。何度目だろう。やはりどこかで、後ろ暗さがあるんだな、私。とはいえ、せっかく参拝するのに御朱印を頂けないことを、少し残念に思う。
 でもま、スポーツドリンクのおかげで、頭がすこしスッキリしたことだし。行くって決めたんだ。気持ちも切り替えよう。スポーツドリンクのおかげで、余裕をもって参拝できそうなんだから。

 港住吉大社は、公園の中にある。
 参道は遊具から少し離れた場所にあり、脇に置かれたベンチにはカップルが座っていた。子供たちの遊ぶ声がする。けれどもっと遠く、なんだか別の場所で声がしているように感じた。公園と参道が何かで遮断されているわけでもないのに、はしゃぐ声が異様に遠い。
 外から見たときも思っていたが、神社にだけ光が射しているように見える。
 鳥居の前で立ち止まる。やっぱり、ここだけ別空間だ。
 ため息がこぼれた。拝殿を見据え、一息ついて、よしっと意気込む。一礼して鳥居をくぐれば、景色が一変したように、陽射しに照らされた。
 境内はそう広くはない。拝殿まで5分とかからずたどり着く。もちろん、手を清める時間を除いて。
 賽銭箱の前で再び一礼して、お賽銭を納め、鈴をならし、二拍手。目を閉じて日頃の感謝を告げ、神様がおられるであろう場所に目を向ける。そして最後に一礼する。
 私はいつも、このあとで肩の力を抜く。正確には、力が入ってしまっていたものがほどける。
 ふと賽銭箱の奥、斜め右に、稲荷神社はこの横ですと書かれた看板があるのに気がついた。その看板は拝殿の中にあるのだが、失礼して拝殿の中を覗いてみても、それらしいものは見当たらない。だからと言って拝殿内に足を踏み入れてまで詮索することは、なんだか憚れた。
 仕方なく拝殿をあとにしようと一礼をして下がる。もともと、ここに来る予定もなかったわけだし。これ以上は欲張りになるかな。なんて帰ろうと踵を返したとき、拝殿の横に道を見つけた。覗いてみると、確かに、拝殿の横に稲荷神社があった。
 思わず笑みがこぼれる。
 こういうことかと、それはそうだろうと、自分の常識のなさを笑う。頭が多少しっかりしたといっても、天然がなおるわけじゃない。笑いながら一礼し、稲荷神社の朱色の鳥居を潜る。先程は失礼しましたと頭を下げた。謝罪する相手が違うような気はしたが、拝殿にはあとで頭を下げようと思う。
 拝殿と同じ作法で参拝し、朱色の鳥居をくぐり抜け、一礼する。
 帰り際、拝殿に頭を下げることを忘れず。先程は失礼しましたと、胸中で囁く。自分の馬鹿さ加減を思いだし、また笑みがこぼれた。
 鳥居を潜る。
 振り返り、拝殿を見据える。その先に思いを馳せ、最後の礼を尽くした。


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