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やっちゃば一代記 実録(18)大木健二伝

やっちゃばの風雲児 大木健二の伝記
 武藤次郎兵衛とアーティチョーク
武藤次郎兵衛はアーティチョークという野菜をつくる数少ない生産者だった。持倉は千葉県の保田、勝山からこの野菜を仕入れていたが、五月の走りの時期に入荷するだけで後が続かなかった。走り値を狙った一過性の出荷であり、納め先の信用問題にも関わるだけに、健二は武藤次郎兵衛に出荷を要請しに遠出をしたのである。
 アーティチョークは大きな松笠のような形で地中海沿岸、とくにイタリアのシチリアではおなじみの野菜だという。日本では業務用として帝国ホテル
横浜グランドホテル、上野精養軒、東洋軒が旬の時期に数十個使っているくらいのもので、一般には全く馴染みがなかった。
 アーティチョークの畑は小高い丘の上にあった。
「武藤さん、アーティチョークはどれですか?。」
「目の前にある!。」
 異様な立ち姿の草が群れていた。茎は伸び放題で健二の背丈を超え、大きな葉はカビが生えたように白っぽく、その花は、けばけばしい紅色をしていた。畑は畝があるわけでなく粗放状態で熱帯植物園の様である。想像とは大違いだ。
「アーティチョークには相模湾の風と温暖な気候が合っていて、栽培はどちらかというと、ほったらかしておく位のほうがいい。」
次郎兵衛も利かぬ気の人の様で、「もっと手入れをしたほうがいいのでは?。」という健二の進言にもどこ吹く風だった。
「アーティチョークと同じように、わたしも変わっているのかね?。この野菜は外面と内面が違っていて、私が栽培を続けているのはその味が好きだからなんだよ!。中身に惚れると、だんだん外面もよく見えてくるものだ。」
 やま周りは面白かった。市場では売り物としての野菜しか見えない。やま周りに行くと、どんな場所で、どんな人物が、どんな風に作っているのか良く分かる。そして、なにより自分を温かく包み込んでくれる自然があった。
健二は市場が休みのたびに各地のやま周りに出かけた。しかし、自転車では守備範囲が限られ、第一に体力が続かない。車が欲しかった!

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