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古典リメイク『レッド・レンズマン』20章-2

20章-2 クリス

「わかりました。急に訪問して、申し訳ありません。パトロール隊が困っていることで、ご相談したくて参りました」

「こちらへ」

 いつの間にか、近くの地面に丸いテーブルと椅子が出現している。テーブルには、お茶道具もある。焼き立てのパイの香りもする。

 そしてわたしの宇宙服は、どこかに消えていた。わたしは、その下に着ていたパトロール隊の制服のまま、土の地面に立っている。春を思わせる甘いそよ風が、髪を揺らしていった。風には、水と緑の匂いが含まれている。

(幻覚だわ。わたしは本当に、上陸しているの? それとも、そう思わされているだけ?)

 しかし、この幻覚は、現実と区別がつかない。こんなに完璧な幻覚が作れるなんて、信じられない。メンターは、自分の能力を誇示しているのか、それとも……わたしに何かを教えようとしている?

 向かい合って椅子にかけた。メンターは、ティーポットからお茶をカップに注ぐ。

 いい香りの紅茶だったけれど、何か奇妙だった。メンターの方はティーポットと揃いの上品なカップなのに、わたしの前には、不釣り合いなマグカップが置かれている。子供が使うような厚手のカップで、陽気なポピーの花が描かれている。

 はっとした。これは、子供の頃のお気に入りだ。いつの間にか使わなくなり、戸棚に仕舞ったきり、忘れ去っていたけれど。毎日、これでミルクやココアを飲んでいたのだわ。

 恐々カップを取り上げた途端、懐かしい重みで確信した。これは、わたしのカップそのものだと。そして、記憶が飛んだ。はるか昔の、楽しかった日々へ。

 休暇で帰ってきたパパがいて、張り切っているママがいて、小さなリックがはしゃいでいた。木漏れ日の中、庭のテーブルでお茶の時間を過ごした。みんなの大好きなアップルパイとサンドイッチ。満腹になると、芝生でリックと走り回り、木の枝から下げてもらったブランコをこぎ、パパとキャッチポールをして……

 どれだけ、父に甘えたことだろう。父は理想の男性だった。この世で一番頼もしく、父に任せておけば、銀河の悪者はみんな退治されるはずだった。

 でも、父はあっけなく死んだ。母と一緒に、宇宙空間で。

 あれからわたしは、常に自分を奮い立たせて生きてきた。もう誰にも頼れない。頼ろうとしたら、その相手は死んでしまう。わたしがしっかりして、リックを守らなくては。

 そしていつしか、鬼と呼ばれるほどの女になり……男など無用だと、突っ張り通して……

 いつの間にか、頬に涙が流れていた。胸に懐かしさが満ちて、溢れ出したような涙だ。

 パパ、ママ、見ていてくれますか。わたし、とうとう、ここまで来たのよ。愛する人と、アリシアまで来たの。レンズの源へ。

 ようやく納得できた。メンターは、わたしのことを全て知っているのだ。そうとしか思えない。

「……ええ、あなたのことは、生まれる前から知っていますよ、クリス。あなたがキムを伴侶にすることも、今日、ここに来ることも、わかっていました」

 穏やかに言われてしまい、言葉もないまま涙をぬぐった。わたしの記憶も思考も、全て読み取れるのだろう。未来を予知できるのかどうかは、判断がつかないけれど。

 お茶もパイも、恐々ながら味わってみた。美味しい。食感もいい。本物としか思えない。幻覚だとしても、現実と何も変わらない。わたしたちが現実だと感じているもの自体、脳が生み出した幻想なのだろうし。

 やはりアリシア人は、人類よりはるかに進んだ種族だ。レンズなど、この人たちにとっては、子供に与える玩具程度のものなのだろう。そのことが、心底から納得できた。レンズマンたちがアリシア人を畏怖していることも、今は十二分に理解できる。わたしの態度は……幼稚な不敬だったかもしれない。

「なぜ……あなた方は……わたしたち人類に、いえ、後進種族にレンズを与えてくれたのですか」

 メンターは向かいの席でお茶だけを飲んでいるようだったが、たぶん、それも演技か幻覚で、わたしの緊張をほぐすために過ぎないのだろう。

「上空から、この星を見たでしょう。いま、この星に暮らしているのは、わたしだけです」

 はっとして、あたりを見回した。鳥の声は聞こえる。木や草は風にそよいでいる。でも、車も人も航空機も、動くものは何も見当たらない。

「アリシア人は、全部で数万人しか残っていません。わたしたちは長命ではありますが、不老不死ではないのです。そして、途中から、繁殖する意志を失いました。生き残った他の者たちは、他の銀河に散って、ボスコーンとの戦いを支援しています」

 重い衝撃だった。たった数万人。繁殖の意志がない。

 それではアリシア人は、望んで滅びようとしているのだろうか!?

 そんな馬鹿な。こんな神のような種族が、子孫を増やさず、絶えていこうとしているなんて。

 でも、この星の静けさは……メンターの言葉と矛盾しない。わたしにも感じ取れる。この星の寂しさが。惑星そのものはまだ存続するとしても、ここで進化したアリシア人は、とうに巣立ってしまったのだ。

「戦いを支援というのは……」

「あなた方がボスコーンと呼んでいる〝敵〟は、この宇宙のあちこちで勢力を広げています。この銀河はたまたま、わたしたちアリシア人の誕生した場所なので、侵略されるのが遅かっただけ」

 やはりだわ。

 リックは正しかった。わたしたちの戦いは、宇宙全体に広がっている戦いの、ごく一部にすぎなかった。

「他の銀河は、どの程度……ボスコーンに支配されてしまったのですか」

 怖いけれど、確認せざるを得ない。共に戦ってくれる種族は、どのくらい残っているのか。

「正確にはわかりません。ボスコーンの真の支配者は、表面に出ず、下級種族を操っているからです。常に隠れていれば、外部に実体を知られず、余計な詮索や攻撃を受けずにすみます」

 なるほど、それが彼らのスタイルなのね。

「まだ、ボスコーンに抵抗を続けている銀河も多くあります。そういう場所では、アリシア人が何らかの支援をしています。レンズを与えたり、種としての進化を促進したりして」

 進化を促進……もしかしたら、地球でも。ヴェランシアやパレインなど、多くの星でも。

 メンターの表情から、それがわかった。わたしたちは何万年も、何十万年も、見守られ、育てられてきたのだ。いつか、途方もない戦いに参加するために。

「そのためにアリシア人は、広く宇宙全体に散っているのですよ。わたしは、空き家の留守居役にすぎません」

 もはや、疑う気持ちは湧いてこなかった。この人は、真実を語っている。絶望的な真実を。

 それではわたしたちは……銀河パトロール隊は……アンドロメダを皮切りにして、全宇宙的な戦いを始めなければならないのだ。この銀河一つでも、こんなに苦労しているというのに。

 いえ、違う。全宇宙的な戦いは、とうの昔に始まっていたのだもの。アリシア人と、ボスコーン中枢の戦いが。わたしたちは、ごく最近になって、戦いへの参入を認められただけ。ほんの下っ端の、新兵に過ぎないのだ。

 超空間チューブについて文句をつけようと思っていたことは、もはや、幼稚な八つ当たりだとわかってしまった。この人たちは、長い年月、途方もない犠牲を払って、わたしたちの住む世界を守ってきてくれたのだ。

「理解しましたね」

 と静かに言われて、恥じ入った。歴戦の闘士から見れば、わたしたち人類など、幼児に等しいのだ。レンズの助けがあって初めて、かろうじて戦場に出られるというだけのこと。

 けれど、メンターはわたしを責めることも、叱ることもしなかった。それどころか、希望を託すかのように言ってくれる。

「幼児も、いずれ大人になります。人類もヴェランシア人も、その他の種族も、まだ成熟する途上にあるのですよ」

 そうなのだろうか……そうだといい。不満をぶつけるのは、やめにしよう。成長して、ある段階に達しなければ、許されない知識というものが、きっとあるのだろう。それまで、わたしたちは、自分たちに出来ることをしていけばいいのだ。

 しかし、せっかくここまで来たのだから、可能な限り、質問していきたい。

「ボスコーンの真の支配者というのがどんな種族なのか、メンターはご存じなのですか」

 内心で、答えてはもらえないのではと思っていた。その答えを知るには、まだ早いと言われるのではないかと。

 だから、説明されたことに驚いた。

「知っています。あなた方の時間で二十億年ほど前、わたしたちの一人が、最初の遭遇を果たしました」

 二十億年ですって!?

 人類どころか、地球には、陸上生物すらいなかった時代!!

「そして、共存できない敵だとわかりました。彼らはどこか別の宇宙で生まれて、そこから追い出されたのか、あるいは溢れ出たのか、長い旅を経て、わたしたちの宇宙にやってきたのです。そして、ここを彼らの支配地にしようとしています」

 他の宇宙からの敵。二十億年の戦い。途方もなさすぎる。

「彼らは愛情を持たず、友情を理解しません。ただ、自分たちの永遠の繁栄を望んでいるだけです。同族でさえ、自分の利益になる場合しか、存在を認めません」

 それは、きわめて悪魔的な種族に思える。

「それからずっと……アリシア人は、その敵と、戦い続けてきたのですか?」

「直接の戦闘は、していません。じかに戦っても勝てないと、すぐにわかりました。彼らが侵入してきた時、わたしたちの種族はもう、進化の頂点に達して、数を減らしつつありましたから」

 戦っても、勝てない。この、神のような人々が。いったい、どれほど恐ろしい敵なのだろう。

「なぜ、黙って絶滅へ向かうんですか。そんなの、勿体なさすぎるじゃありませんか。今からでも、アリシア人を増やしたらどうなんですか」

 幼児のわがままを聞く大人のように、メンターは静かだった。

「わたしたちはもう、この世での役目をほぼ終えているからです。先の見えた自分たちの仲間を増やすより、あなた方、若い種族に期待をかけたいと思っているのですよ」

 信じられない。そんな考え方ができるなんて。

 でも、メンターは微笑んだ。楽しい会話でもしているかのように。

「ボスコーンを滅ぼすのは、あなた方の仕事です。わたしたちにできるのは、手助けだけです。この宇宙を継ぐのは、あなた方なのですから」

 背筋を戦慄が走った。

 宇宙の後継者ですって。

 突然、途方もない責任を負わされてしまって、どうしたらいいのかわからない。

 まさか、全宇宙の運命が……わたしたち、未熟な新興種族にかかっているなんて。

「あなた方は……わたしたち、幼稚な後進種族に、こんな重大な戦いを任せるとおっしゃるのですか。こんなに優れたあなた方が前面に出ても、侵略者には勝てないと?」

「わたしたちアリシア人は、負けることはありませんが、だからといって、勝てもしません。向こうの中枢には、たった十数名しかいませんが、厳重に防備を固めています。わたしたちの総力でも、その防備を突破することはできませんでした」

 一度は、試したのね。そして、互角のまま引き下がった。それから二十億年の、膠着状態。

「今のあなた方には、まだ手の届かない相手でしょう。でも、このまま進歩を続けていけば、いつか、あなた方はわたしたちを超え、どんな困難にも立ち向かえると信じています」

 いつか。

 今ではない、未来のいつか。

 あまりにも壮大な話なので、天地の中で迷子になりそうな気分。

「敵の中枢は、たった十数名……それで、この宇宙全てを支配しようとしている?」

「この世界にやってくる前、彼ら同士で戦い抜いて、わずか数百名しか生き残っていないのですよ。その頂点に立つ者たちが、十人と少し。彼らは数が少ない分、多くの下級種族を操り、利用しています」

 たった数百名で、この広大な時空間を全て支配しようとする……なんて貪欲な……それとも、それが生命力の強さなのだろうか。頭が……頭が消化不良を起こしそう。

「ボスコーンの頂点に立つ、その種族は、何という名なのですか」

「彼らの言語は、人類には発音不可能です」

 わたしの心にその名称が響いたけれど、確かに、壮大な交響曲を極度に圧縮したようで、とても把握しきれない。かろうじて、印象に残った部分を拾い、近い音に当てはめると……エ……ド……ル……となる。

 エッドール、だろうか。

「名称が必要なら、あなた方がつければよいでしょう」

 あっさり言われた。どうやら導師は、教え子を甘やかしたくないらしい。

「それでは、ブラック・レンズは彼らの道具なのですね……でも、ライレーンの女たちは、ブラック・レンズを使いこなしていました。それなら正規のレンズを、わたしたち人類の女性に授けてくれてもいいのではありませんか?」

 すると、くすりと笑われた。思わず、顔が熱くなる。まるで、思いっきり的外れな質問をした学生みたいな気分。

「クリス、あなたはこれまで、レンズなしでは、仕事ができなくて困っていたのですか?」

 そう言われると……

「そういうわけではありませんが……ただ、不公平だと思って……」

「みなが同じ姿、同じ能力、同じ感性だったら、さぞ公平でしょうね」

 ま、まさか、メンターにからかわれるとは。

「わ、わたしがレンズを望むことは、子供のわがままと同じだとおっしゃるのですね?」

「あなた方、若い種族は、わたしたちの子供のようなものです。子供にわがままを言われるのは、楽しいものですよ」

 だめだわ、とても敵わない。もう、両手を上げて降参したくなっている。

「あなたとキムは、わたしたちが育ててきた種族の中でも、最も期待の持てる子供たちです。わたしがあなたに会って話をしているのは、そのためですよ」

 えっと……まさか、はるばるアリシアまで来て、褒め殺しに遭うとは。

「形にこだわることはないのです。レンズはただの道具なのだから。精神の焦点を合わせるやり方を会得すれば、レンズなしでも、自由に精神を飛翔させられるでしょう」

「そんなこと……じゃあなぜ、男たちには、レンズを与えてきたんです。他の種族にも」

「彼らは敵の目を引き付ける、囮です」

 何ですって。

「レンズマンが表舞台で戦っている間に、わたしたちは、他の仕掛けを続けてきたのですよ」

 それはいったいどんな、と尋ねかけ、メンターにそれを教える気がないことを察した。

 それこそが、たぶん奥の手なのだ。わたしたち後進種族は、それを知らない方がいいのに違いない。知らなければ、敵に尋問されても、秘密を漏らすことはない。

「でも、せっかくですから、お土産を持たせてあげましょう。あなたの気が済むようにね」

 テーブルの上に置いてあったわたしの手に、何か光るものが現れた。金色の腕輪にはめられた、脈動する白い宝石。太陽を凝縮したかのように、無数の色彩が乱舞する。

 まさか。

「それは、自転車の補助輪のようなものです。自転車に乗れるようになったら、もう必要なくなるものですよ」

 信じられない。

「わたしのレンズ!? 本当に!?」

 ずっと憧れていた。父のレンズ。ヘインズ司令のレンズ。そしてリックのレンズ。でも、自分には手が届かないものだと、あきらめてきた。イロナやデッサの、そしてヘレンのレンズを知るまでは。

 わたし……〝レンズマン〟になれたの!?

「さようなら、娘よ。あなたに会えて、わたしは満足です。あなたとキムの子供たちは、あなたたちが到達した場所から、人生を始めるでしょう」

 待って下さい、と頼む暇もなかった。気がついたら、わたしは一人で取り残されていた。

 テーブルも椅子も、空港もない。ただ、見渡す限りの草の野原を、風が渡っていくだけ。青い空には、白い綿雲が浮いている。

 それでも、上陸艇の方向を振り向いたら、草原の向こうから、グレー・スーツを着たキムが歩いてくるのが見えた。彼もまた、メンターと面会していたらしい。

「クリス」

 彼がわたしに呼びかけた途端、全面精神感応に入ってしまった。わたしにレンズがあるせいか。

 おかげで、彼の経験が、自分の経験のように感じられた。彼はメンターに、集中的な訓練を受けていたのだ。レンズマンとしての限界を超えるような、厳しい訓練を。

 しかも本人の主観では、数日が過ぎていたという。わたしはほんの二時間ほど、お茶の時間を過ごしただけなのに。

《目が覚めたみたいな気分だ。これまでぼくは、自分の力の使い方を全くわかっていなかった……話にならないくらい、幼稚だったんだ》

 それは、わたしもそう。

《特訓を受けて、初めて理解したことがたくさんある。メンターというのは、四人のアリシア人の融合体だった。彼らがずっと、この銀河文明を陰から守護してくれていたんだ》

 そしてキムもまた、わたしの経験を知って、驚嘆していた。

《二十億年の闘争……エッドール……メンターは、きみにレンズを授けてくれただけではなく、そんな途方もない話をしてくれたのか……!! これまで、どんなレンズマンも聞いたことがない話を!!》

 わたしの左手首には、脈動しながら輝くレンズがあった。キムのレンズに劣らない、まばゆいほどの輝きだ。キムのレンズもまた、特訓以前より一際強く輝いているというのに。

 二人がそれぞれメンターに会ったことは、幻覚ではない。

 いえ、幻覚を見せられたのだとしても、それは本質的な問題ではない。

 この上なく大切なことを、伝えられた。わたしたちは、アリシア人の後継者なのだ。エッドール人たちが、下級種族を使い捨ての道具とするのに対して、アリシア人たちは……わたしたち若い種族を、自分の子供のように思ってくれている。

 だから……それだから……銀河パトロール隊は、きっと……未来のいつか、ボスコーンに勝てるのだ。

「レッド・レンズマンだね」

 キムが口に出して言った。嬉しそうに微笑んで。

「え、なに?」

「きみのことだよ。人類の歴史で初めての、正規の女性レンズマン……たぶん、レッド・レンズマンと呼んだらいいんじゃないかな」

   『レッド・レンズマン』20章-3に続く

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