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恋愛SF『星の降る島』1章

1章 レアナ

 夜中、そっとマークの横から起き上がった。若い彼は、健康な深い眠りに落ちている。水割りに入れた薬のせいで、あと十二時間は、叩いても揺さぶっても起きないはず。

 ――真実を知ったら、きっと怒り狂うでしょうね。全力でわたしを罵倒し、呪い、憎むようになるでしょう。

 でも、次にあなたが目覚める時、わたしはもう、この世にいない。

 だから、許して。

 いいえ、どう言い訳しても、許してもらえるとは思っていないけど。

 仕方がないの。これが、わたしの義務だから。この時代に、わたしという才能が生まれたこと、それこそが天の意志。

 人類は、ここでいったん滅びるべきなのだ。さもないと、宇宙に害悪を撒き散らすだけだから。外宇宙に出ていくことを許されるのは、これから誕生する新人類のみ。旧人類は、新人類の母胎となったことに感謝して、退場していくべきなのだ。

 わたしは素足にサンダルを履いて、愛用のシルクストールを取り上げ、籐の家具が置かれたラナイに出た。背後にした寝室は、真っ暗。足元を照らす明かりは、満天の星と、満月に近い月の光だけ。島のこのあたりに、他の人家はない。

 甘い夜風の中、芝生の庭を通って石の階段を降り、すぐ下に広がる海岸に出た。丸い月が濃紺の空にあり、暗い海上に光の道を作っている。岸辺で波が砕けると、夜光虫が青白い光を発するのがわかる。

 本当に、降るような星。銀河の白い帯が、大きく空を横切っている。

 聞こえる音は、穏やかな潮騒だけ。ここはプライベートビーチだし、周囲はレオネが幾重にも警備しているから、危険はない。本土の大統領官邸よりも、厳重に守られている。

 大統領と側近たちがやがて知るのは、この地球は既にレオネの絶対管理下にあり、自分たちにできることは残されていないこと。

 ――この三日間、夢のようなバカンスだった。二人して海で泳いで、浜で寝そべって、車を走らせて、レストランで食事して、ラナイでカクテルを飲んで。

 この最後のバカンスのことは、一生忘れない。あと何年、わたしが生き永らえるとしても。

 真っ暗な海を前に、砂地に座った。もう少しだけ、夜風を浴び、海の匂いを吸い込んでおこう。明日になれば、もう地上には出られない。生の大自然に包まれるのは、今夜が最後。

 人類が再生できるか、それとも、ただの絶滅で終わるのかも、全て明日以降のこと。

 無人施設で培養された致死性のウィルスは、既に世界各地に運ばれ、駅や空港や港や大都市のビルの中にセットされている。カプセルが砕かれれば、たちまち汚染が広まる。対処する時間の余裕はない。

 要人たちが避難するために用意されている各国の秘密シェルターにも、やはりこっそりと設置させてある。大きな大学にも病院にも、主要な政府機関や国際機関にも仕掛けさせた。

 このウィルスの汚染から逃れられるのは、わたしがレオネに建設させた地下シェルターだけ。世界各地に合計で二十数箇所作らせた気密シェルターのうち、一つでも無事に汚染期間を乗り切れば、文明は再建できる計算だ。

 人間以外の動物には、大きな被害は出ない。類人猿だけは死滅するだろうけれど、既に培養のための細胞は採取してある。後日、ゴリラやオランウータン、チンパンジーやボノボは再生できる。

 もちろん現実には、わたしの想定外の出来事も起こるだろう。ウィルスで死滅しない人間が、各地に少しは残るかもしれない。稼働中の原子力施設を巧く停止させられず、放射能汚染が広がってしまうかもしれない。

 あるいはまた、悪意ある誰かが密かに研究していた生物兵器が、誤って放出されるかもしれない。人の制御を離れたロボット兵器が、レオネの管理する施設に危害を加えるかもしれない。

 そういう事態に対処するために、わたし自身は眠らず、起きている。この〝大浄化〟を乗り切っていいのは、わたしが準備した受精卵だけ。

 悪弊の染み込んだ旧人類は、全て滅びてくれなくては困る。地下深くの冷凍睡眠装置に入れる、マークただ一人を例外にして。

 故郷の両親にも、既に別れを告げた。二人は、わたしがマークと結婚するものと思って、安堵したまま。

 何も知らない全世界の人々は、明日、終わりの時を迎える。全てを観察し、記録し、それを新人類に告げるのはレオネ。わたしの死後、マークを起こして真実を告げるのもレオネ。

 さようなら、パパ、ママ。子供の頃からの友人たち。大学の同僚たち。わたしの教えた学生たち。

 わたしの愛した景色も、人々も、全て消え去る。

 悪意からでは、ない。これが義務だからこそ、わたしはあなたたちを殺す。あなたたちのいた場所に、新たな人類を住まわせるために。

 ***

「レアナ、皮膚温が低下しています」

 わたしの左手首の端末から、レオネが声をかけてきた。南の島といえど、夜風はいくらか冷える。わたしは薄いサンドレス一枚に、軽いストールを羽織っただけだから。

「もうそろそろ、車に移動した方がよいのでは」

 マークは眠らせたまま、この別荘の地下深くに設置した気密シェルターに移すけれど、わたし自身は、作戦司令部として用意した別のシェルターに移動しなければならない。近くの私設飛行場には、わたしを運ぶための輸送機が待機している。

 わたしの進路は、頭上の攻撃衛星が守ってくれる。たとえ何十機の戦闘機が行く手に舞い上がってきても、天からのレーザービームの一撃で破壊される。

 もちろん、レオネは情報を操作できるから、誰も何も気付かないうちに、わたしは本土の山岳地帯にある司令部に入っているだろうけれど。

「わかってる。もう行くわ。もうちょっとだけ待って」

 降るような星の下、闇に沈む別荘を振り向いた。木立に囲まれた、ささやかな一軒家。あそこに戻れば、マークが眠っている。こんな計画、止めにしてしまえば、また明日、彼と会える。笑い合い、キスを交わせる。このまま彼と結婚して、子供を育て、孫の誕生を祝い、老衰死するまで一緒に暮らすこともできる。

 でも、それはしない。そんなことをしている間に、人類社会は、ますます間違った穴にはまり込んでいく。

 力を持つ者だけが豊かに暮らせる、地獄と隣り合わせの繁栄。

 思い上がった馬鹿者たちが、他の動植物を絶滅させていく。人間に必要な水や空気さえ、どうしようもなく汚染していく。

 そんなことは、もう、終わりにしなくては。この歪んだ文明を、宇宙に広めてはならない。

 ほんの少女の頃から、わたしは、この計画のために生きてきた。これが正しい決断だと、心の底から信じている。だから、今は泣かない。後で泣く。邪魔な旧人類が全て死に絶え、計画の成功が見通せるようになったら。

 月に照らされた浜を後にして、別荘の裏手の駐車場に回った。いったんサンダルを脱いで、砂を払う。レオネの動かすロボット兵士たちが、車の傍らに立っていた。平坦なカマキリ顔をした、鈍い銀色の兵士たち。

 今は多くの国の軍隊に、この兵たちの同類が採用されている。彼らはいざという時には、わたしの命令しか受け付けなくなるというのに。

 わたしが車に乗り込むと、兵士の一体がドアを閉めた。車は何事もなく走りだし、別荘が夜闇の中に遠ざかる。眠るマークと去るわたしは、永遠に切り離される。

 彼は、旧世界の最後の一人になる。

 歴史の見届け人。

 あなたが地上に残せるものは、はるか未来の人類に宛てた手記くらいのもの。それすらも、レオネの判断によって、永久に封印されたままになるかもしれない。

 マーク、あなたはわたしを呪っていい。恨んでいい。憎んでいい。それでも、最後まで生きて。明日の世界を見届けて。レオネに守られて、老衰死するまで生きて。

 それが、わたしにできる唯一の贈り物。あなたはそんな贈り物、欲しくなかったと言うでしょうけど。

   『星の降る島』2章に続く

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