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正義の刃を俺に向けるな、人は鈍感で聞き上手の友を欲する、

八月二三日

午前十一時半起床。紅茶、菓子。寝しなの腹痛のせいでいつもより起きるのがしんどかった。消化不良はワカメを入れ過ぎた味噌汁のせいか。あるいは扇風機に当たり過ぎているからか。
このごろ目で読む方がまるでだめ。図書館でもやたら落ち着きがなくて文字列をうまく拾えない。二三か月に一度はある「スランプ」。気力(欲)はあるのに体力が追い付いつかない、とでも言える状態。こういうときは悲しみ深く胸に沈めながら岬めぐりなどするといいのだけど何しろまだ暑くてそんな気も起こらない。はやく体感季節が「秋」になってくれないか。とはいえ書くものはなんとか書けている。あたらしいWi-Fiルーターを設置したので滞りにイラつかされることも減った。

『紙つぶて(全)――谷沢永一書評コラム』(文藝春秋)を読む。
六百文字程度の書評コラム四五五篇を集成したもの。「本好き」もしくは「書評好き」には堪らない一冊で、古書店で買って以来、たまたま開いたところをつまみ食いのように読んできた。丸谷才一のような知的遊戯心溢れる縦横無尽書評もいいが、こういう学究的堅実書評もいい。俺もこんな滋味掬すべき書評を書いてみたいが俺のなけなし学識ではとても無理。
谷沢永一は山本夏彦といっしょに「辛口コラムニスト」と評されることが多く、どっちも「保守派」気取りのジジイに人気がある印象。そんなジジイたちはだいたいきまって、「夏彦翁」とか呼んではやたらと敬意を示したがる。なかにはその虎の威を借りるようにして、「日教組はけしからん」とか「自虐史観を修正せよ」なんて紋切り型を叫ぶ連中もいる。ああ児戯児戯。
本書で個人的にショックだったのは、筑摩書房の「定本柳田國男集」(全三六巻)における編集の杜撰さが指摘されているところ。オイラこれ持ってるんだよ。いまは実家にあるけど。二十歳ちょっと過ぎのころは民俗学にも興味があったんだな。いまはあまりない。いずれ気が変わったら研究してみようか。
公共図書館にほぼまいにち通うものとしては、長澤規也『叱る』を引用しながらの以下の文章(昭和五五年発表)には、いちおう同意を示しておきたい。

その弊害も誰も知りながら憚って言わぬのは公共図書館を占拠する学習生徒の問題。「試験前ともなればもちろん、休日――特に天気の悪い日――や午後には、閲覧室はほとんど全部といってよいほど生徒で満員となって、真の閲覧者の着席する余地は全くなくな」っている。解決の為の「次善の策として、公民館に生徒用の学習室を設けて、生徒を収容するような対応策」を案じるなど、長澤規也の現実的な提案を冷静に検討すべき時期ではないのか。

「占領軍に盲従して国情を無視した戦後の図書館制度」

もう昼飯食って図書館きますよ。きょうからは二時十分に部屋を出ることに決めた。「スランプ中」だからきょうはまた『カイエ』でいいかな。なんならブコウスキーでもいい。

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