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バカらしいというか、アホらしいというか、徳光らしいというか、マイナスイオン的というか、天国には七二人の童貞が待っているというか、

五月八日

実際、ある行為が真に罪悪的なものであるか否かを判断するためには、その行為がいかに自然を侵害するかということを調べてみなければなるまい。

マルキ・ド・サド『悪徳の栄え(上)』「濡衣を着せられた小間使のこと」(澁澤龍彦・訳 河出書房新社)

午後十二時三二分。寝過ごした。九時三八分の目覚ましの音には反応したんだけど。これだから二度寝はこわい。モーツァルト狂いだった学生時代はこれを春眠暁をオーボエ協奏曲ハ長調と呼んでいた。もし俺が社畜だったらパンをかじりながら玄関から出てしかも遅刻していただろう。スイートアーモンド、ホームパイ。紅茶はお湯より先にミルクというか白い油をいれた。このほうがおいしいと知人が言っていた。こういう嘘は嫌いじゃない。相変わらず噛むと奥歯の根っこのほうが痛む。しつこいですね。昨夜も薬剤性鼻炎を抑えるためにナザールをシュッシュッしてしまった。マッチポンプ的不条理と言うべきか。小ねぎというはじめて買った野菜の味を確かめたかったので仕方なかったんだ。今日こそはナザールを絶対に使わない。走れ走れコウタローの歌がさっきの夢のなかからずっと脳内ヘビロテされている。俺は走るのは嫌いだしだいいちコウタロウじゃない。コウタロウは阪神の大竹だ。きょうの広島戦の先発だ。神々の恥垢。

金子兜太『わが戦後俳句史』(岩波書店)を読む。
一九八五年刊。回顧的散文のなかにかなりの頻度でそのころ作った自句が引かれているので飽きなかった。桑原武夫の「第二芸術論」(一九四六年)を若いころの金子がかなり意識していたことが分かる。がいしてインテリほどこうした批判を無視できないものだ。真剣に受け止めようとする。田舎の学のない俳人なんかこんなのは無視するだろう。当時は完膚なきまでの敗戦によって庶民もインテリも恐慌状態で、だからなのか性急で単純な自罰的伝統批判がそれなりの通用力をもっていた。志賀直哉のいわゆる「日本語廃止論」もちょうどそのころに発表されたはず。なんであれ私は歴史に関心を持たないでいることができない人間だから、俳句史への興味も当然あるが、どこそこの俳句結社がどうだとかいう話とはきょくりょく縁遠くいたい。これは矛盾かもしれない。歴史というのは固有名詞ぬきでは記述し得ないものだから。本書、俳人としては、加藤楸邨や山口誓子や中村草田男や秋元不死男などがよく出てくる。いずれも俳句界では知らぬ人はいないビッグネーム。山口誓子と聞くと私はすぐに、

蜥蜴照り肺ひこひことひかり吸ふ

を思い出す。これは私がいちばん最初に感銘をうけた俳句かもしれない。「好きな俳句は?」と問われたらまずはこれを選ぶ。そういえば今週の「読売俳壇」に、

蛇穴を出でて吸光してをりぬ

読売新聞(日刊)2024年5月6日

というのがあった。この句の作者の松葉哲也氏はたぶん山口誓子が好きなのではないかと素人考えをした。金子兜太の句のなかでは、

果樹園がシャツ一枚の俺の孤島

が好きだ。本書の本文はこの句で締めくくられている。「この果樹園って何のこと?」なんて野暮な問いは立てないこと。
きょうは寝過ごしたのでもうあまり書く時間はない。コープヌードル(トマト&チーズ味)食って図書館行くわ。この世には俺に読まれるのを待っている本が膨大にある。青パジャマ黄パジャマ雁高パジャマ。ネタニヤフを撃て。

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