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第88話 藤かんな東京日記⑩〜卒業式で思い出した15年間の片想い〜


 2024年3月19日、午後2時ごろ。外を歩いていると、中学生か高校生か、学生たちがちらほら歩いていた。みんなチューリップの花を1輪持っている。
 ああ、今日は卒業式だったのかな。
 男の子2人、女の子2人が横断歩道の前で、スマホを見せ合いながら話し込んでいる。連絡先交換でもしているのだろうか。今の学生は第2ボタンをもらったりしないのだろうか。男子学生の胸元を見たが、ボタンは残っていた。彼らを見ながら、中学時代のことを思い出していた。

悔いの残る中学の卒業式

 中学の卒業式、私は第2ボタンをもらい損ねた。
 そもそも第2ボタンをもらうなんて大胆な行為は、ファンタジーの中だけのものだと思っていた。しかし周囲の女の子たちが「〇〇くんのボタンもらった」や、「□□くんがボタン全部なくなってるで」などと騒いでいた。それを聞いて、私もあの子のボタンが欲しいかも、と、ある男の子の姿を探した。
 彼の名は次郎くん。ひな人形のお代理様に似た顔をして、ひょろっと背の高かい子だった。無愛想で友達付き合いは良くなく、学校の先生にもよく反抗する密かな問題児だった。次郎くんと私は何かと縁があり、小学生の頃は座席がしょっちゅう隣になったり、委員会や掃除当番がよく一緒になった。しかし小学生の頃の私は、彼のことが嫌いだった。いつもデリカシーのないことばかりを言ってくるし、よく口喧嘩もした。
 中学生になり、同じ学校に進学したけれど、クラスが離れてしまったこともあって、彼とは自然と疎遠になった。たまに誰かと楽しそうに話している次郎くんを見かけると、あえて目をそらすようになった。
 そして迎えた中学の卒業式。異性を好きになる気持ちなんてよく分かっていなかったが、なんとなく次郎くんのボタンが欲しかった。私は彼を探した。彼は教室を出ようとしてる。追いかけた。
「かんな、写真撮ろうよ」
 仲の良い女の子集団が、私を引き止めた。私は彼女たちとインスタントカメラで写真を撮りながら、次郎くんの背中を目で追った。第2ボタンをもらうことはできなかった。

眠っていた想いが膨らむ

 それから15年後、社会人4年目の5月。私がまだAV女優になる前のこと。中学の同窓会のお知らせが来た。「次郎くん、来るのかな」。一番に思い出したのは彼のことだった。しかし同窓会は開催されなかった。2020年、コロナが大流行し出したのだ。同窓会は無くなったが、仲の良かった女子友達4人ほどで集まることになった。そこで昔好きだった男の子の話になった。
「私、次郎くんのこと好きやってんな」
 初めて口にしてみると、顔が熱くなった。私はやっぱり好きだったんだと、改めて思った。友達からは「ええええ」っと冷ややかな声が上がった。次郎くんは女子に人気がなかったようだ。
「連絡取ってみたら良いやん」
 ある子が言った。
「そんなん恥ずかしいわ。今更話すこともないし」
「ほんなら、私が連絡したるわ」
 その子は早速、次郎くんにラインをした。「何すんねんな」と言いながらも内心、「ありがとう!」と感謝した。次郎くんからのラインはすぐに返ってきた。女子会は大盛り上がり。私はこの日、幸運にも次郎くんとラインで繋がることができた。
 それから数日間、次郎くんとラインをし、1ヶ月後、彼と会うことになった。

15年間の片思いの結末は・・・・・・

 2020年9月某日、金曜日、次郎くんと食事に行く日がやってきた。朝から私は有頂天である。仕事なんて全く手につかなかった。彼との待ち合わせは19時に大阪北新地駅の改札前。今日は何がなんでも定時で上がらなければならない。会社の同僚や先輩には、「今日、デートなんで、絶対定時で帰ります」と堂々宣言していた。もちろん根掘り葉掘り聞かれたが、それもまた楽しかった。
 18時45分、北新地駅前に到着。やっぱりスカート履いてきたらよかったかな。髪も巻いてきたらよかったかな。メイク崩れてるよな。一旦家に帰ればよかったなあ。緊張しすぎてゲロが出そうだった。
 18時55分、仕事帰りの人混みの中、改札横のコンビニの前に、懐かしい顔を見つけた。次郎くんだった。中学の頃の面影はあるが、全体的に体の線が太くなっていた。体の奥がぎゅっと熱くなった。
「久しぶり。相変わらずチビやな。見つけられへんかと思ったわ」
 照れ笑いしながら、デリカシーのないことを言うのも、昔のままだった。
 彼は北新地のイタリアンを予約してくれていた。カウンター席に座って、彼はシンジャーエール、私はコーラを頼んだ。会話は尽きることがなかった。仕事の話、大学の話、高校の話など。中学の卒業式で私がボタンをもらい損ねた話もした。彼は「なんでもっと早く言ってくれへんかってん」と驚いていた。「俺のボタン、全部あげたのに」と。
 それってどういうことかしら。つまりそういうことだよね。私、今日きっと、彼と付き合うな。来月には両親に会ってるかも。心は最上級にときめいていた。
 21時半、店を出た。私たちはまだ話が尽きず、北新地の川沿いを散歩した。
「まだ結婚とかは考えてないん?」
 次郎くんが聞いた。キタキタキタ。今、まさに考えてるよ。あなたとの未来を。
「そうやなあ、考えてなくはないで。次郎くんは?」
 北新地の街を映してキラキラ光る川を眺めながら、そう答えた。もういいで、今ここでプロポーズしてくれても。
「俺、結婚してるで」
 彼は言った。一瞬、この世から酸素が無くなったかと思った。「嘘やで」の言葉を待った。祈るように待ち続けた。しかし、その言葉はなかった。
 結婚、してるんだ。ちょっと、よく分からない。これ、どんな反応したらいいの。私、ダサすぎるやん。
 必死に冷静を装った。「いつ結婚したん?」とか「奥さんはどんな人なん」と、あなたには元から興味がなかったのよ、というフリをしたが、それもきっと不自然で、明らかに動揺していた。彼の左薬指を見た。指輪してないやん!
 それからは何を話したか覚えていない。帰りたかったけれど、ここで急に帰るのはダサい気がして、悔しくて、悔しくて。結局、彼がその夜泊まるホテルに行った。彼は今、東京に住んでいて、この日はわざわざ大阪に来てくれていたのだ。もう彼と私の未来が繋がることはない。ならば良くないことと分かっていても、最後に思い出が欲しかった。
 夜中の1時、ビシネスホテルのベッドの端に並んで座っていた。
「もう今日は帰られへんわ」
 私は言った。
「いいよ」
 彼は言った。そして別々にシャワーをして、ベッドに入った。ベッドの中でも30センチくらいの距離を保ちながら、ずっと話をした。
「もし中学のあの時、俺が第2ボタン渡せてたら、その後付き合ってたりしたかな」
 彼は私の目を見ず言った。
「分からん。でも私は好きやったで」
 私は初めて自分から告白らしいことをした。こんなに素直に「あなたのことが好きです」と言えるのは、後にも先にもこれが最後かもしれない。なんとなくそう思った。
 次郎くんは私の目を見て、キスをした。15年間、抱え続けた私の片思いは、今世では実らなかった。悔しくて、苦しくて、切なかった。
「あと少し、私のこと待っててくれたらよかったのに。もう言っても仕方ないけど」
 意地悪心から、わざと彼を困らせることを言った。彼は私を強く抱きしめた。すれ違い続けたこれまでを、どうにもならない今を、積み続けた想いを。怒りと喜びをごちゃ混ぜにして、私たちはセックスをした。
 私が彼の股に顔を埋めていると、デリカシーのない彼は「フェラが上手すぎて、嬉しいのと、悲しいのとで複雑」と言った。私たちはもう大人になったのだ。
 私はベッドに仰向けになり、彼の目を見る。彼は「中学の頃から全然変わってないと思ってたけど、今のこの表情は初めてみる」と言った。同じことをそっくりそのままあなたに言ってやるわ。私たちの間には15年の歳月が流れたのだ。
 夜中の4時。10センチほどの距離を保ったまま、お互い仰向けになっていた。
「大丈夫?」
 彼は聞いた。「うん」と答えた。そう答えるだけで精一杯だった。「何の大丈夫なの?」とは聞けなかった。心配するなら私のこと好きになってよ、と思いながら、天井を見つめ続けた。

 明け方5時半、眠ってしまった彼を起こさないようにホテルの部屋を出て、駅まで歩いた。土曜日の朝、大阪梅田駅周辺は静かだった。頭の中に中島みゆきさんの『悪女』が流れていた。
「悪女になるなら月夜はおよしよ素直になるすぎる」
 左手の空に半分欠けた月が、うっすら見えた。
「隠しておいた言葉がほろり溢れてしまう『行かないで』」
 目を擦ると、黒色のマスカラが手の甲についた。
「悪女になるなら裸足で夜明けの電車で泣いてから」
 朝の駅のホームはひんやりと寒い。
「涙ポロポロポロポロ流れて涸れてから」
 電車の窓に映る私は、目の縁が真っ赤だった。

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