仏教は宗教ではない

今では俗に言う宗教的なものもあるが、道徳を超えた当たり前のことに気付かせるものだったのではないか。

お釈迦さまが解いた教えは、極々普通のことで、それを素晴らしいと思ったから2500年経っても残っているはずだ。

ただ、争うことない仏教は、歴史の中で消えかけたりしたのだろう。それでも教え伝えねばならないと、その国の小さな村の神であったり、祀られている物を取り入れながら、その芯は曲げずにきたのが日本の仏教なのではないか?

その曼荼羅の中にいるのは、多くの仏であるが、政治や戦争の中で生き残る為の方便だったのかもしれない。正論を説いても、人気が出るとは限らない、そこで廃れさせないために多くの人に関心を持ってもらい、広く浅くしながらも芯を残して、多くの解釈を持ちながらも浸透していった。

本来持つ我々は衆生と共に悟りを目指すこと、仏教というのは本来他の教えでもバカにしたり蔑んだりはしないこと。

最近は長老にハマっていたが、結構強い言い方をする。そこまで来た背景を語らないのだ。

日本に来て神道と混ざったり、独自の変化を遂げた仏教は、果たして仏教なのか?と言われるけれども、私は自信を持って仏教であると言いたい。

ただ、その中にも腐る人はいるし、自身の悟りを得ようと求めるばかり、衆生と共にいる事を忘れる人もいる。

2500年も経てば多くが混ざる。ただその曼荼羅や、声や、飾りは方便であること、芯のところを忘れてはならないと思う。

どうだろうか。

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