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管理職不足の原因と対策について -その3 責任の範囲-

管理職の責任の範囲は年々広くなっている。
コロナ禍では特にひどかった。
学校の行事をするかしないか、するにしてもどこまで縮小するか、職員も経験がないことだからすべて校長に判断を迫ってくる。
校長が決めればそれに従いますという単純なものならいいが、そうはいかない。
コロナの状況が最悪の時期にあっても「教育的意義」を掲げて何があっても例年通りの実行を迫る者がいるかと思えば、少しでもリスクを避けたくて中止にせよという声も上がる。
中止にした方が楽だと考えている人もいた。
しかし体育祭や文化祭など従来保護者を入れて実施してきた行事については、PTAや地域との調整を図る必要がある。
そうした調整はすべて管理職がやらねばならない。
安易に中止や縮小を打ち出せば、度量の小さな校長だと批判が集中する。

部活動の大会についても同様であるが、公式戦は中体連の方針に従えばほぼ判断ができた。

困ったのは「協会」主催の大会である。
総じて「協会」の方が強硬実施を決めることが多かった。
中体連の大会ではないので参加する義務はないといえばそれまでだが、保護者はそうはいかない。
大会自体が実施されるのに参加しないとなると納得しない。

特に団体競技はややこしい。
顧問の先生も感染を恐れて本当は出たくないと思っても自分で「出ない」と決めると批判が自分に集中する。
若い顧問などは対応に困ると思うから「校長がやめておけと言ってるんですと伝えればいいよ」と言っていたが、「協会」の強引な判断まで校長が対応する必要はあるのかと思ってしまう。

最も理不尽なのは、教員による不祥事である。
犯罪行為や体罰、暴言など明らかにその教員の責任である場合にも管理職の管理責任が問われる。
せめて、飲酒運転や傷害事件など明確に教員個人の責任である事柄については、管理職の責任を問うことはやめるべきだ。
義務教育の先生は県費負担教員だから、採用は県教委が行う。
だから、不祥事が起こった時に県の教育委員会の教職員課長が謝罪会見を行う。
それもやめるべきだ。
一般の事件と同じように本人を前に出せばいいのである。
過失ならかばってやる必要もあるが、体罰、暴言、犯罪行為は意識してやっていることだ。誰かが代わりに謝ってくれるという意識があるからなくならないのである。

そういう対応をすることで不祥事は減るだろう。
不祥事が減ればそれに管理職が対応することも少なくなる。
いい大人を「先生」だからと言って擁護し過ぎる。
そのつけを管理職が背負うほど理不尽なことはない。

管理職の責任の範囲を縮小すべきだ。
少なくとも明確に規定すべきだ。
そこをはっきりすれば、これから管理職になろうとする人のために何をどこまでやればいいのかをはっきりさせておくことが必要なのではないかと思う。

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