ワシントン大学留学体験記12(アメリカ人とは?編)
私はイデオロギーやアイデンティティについて考えるのが好きだ。
たまにアイデンティティ、という言葉が嫌いだという人もいるけれど、
言葉が大きすぎて、誤用も増えているからなのか?とも思う。
私はアイデンティティの中身ではなく、
そもそもアイデンティティとは何かということから考えるのが好きである、
日本語に訳すと、自己同一性と解釈されるのだけれども、
それだけ聞いてもよく分からない。
私は、自分自身のことをどう思っているのか、という風に解釈している。
そして、そのアイデンティティについて、留学に来てからより一層気をつけるようになったことがある。
それは、
「私たちは見た目や出生でその人たちをジャッジしてはいけない。」
ということだ。
アメリカに留学に来てから、「移民の国」という言葉の意味を
より一層理解できるようになった気がする。
なぜか。
一言で表すと、「アメリカ人のほとんどは、みな移民である」
という事実に直面し、それに気づいたからである。
「私はアメリカ人です」というほど、多様性を内に秘めている言葉はない。
もちろん、先住民の方もいるし、色んな国からやってきた人もいる。
私の元ルームメイトも白人で、各地を転々としながらアメリカに移り住んだ移民であるが、彼女はアメリカ人である。
また、
アジア系の学生で生まれたときからずっとアメリカにいる人もいれば、
アフリカから幼少期にアメリカに渡った人もいれば、
留学生で、最近アメリカにきたヨーロッパからの移民もいれば
皆、多種多様である。
となると、アメリカにいる人たちの違いというのは、
彼らが生まれてから何年ぐらいアメリカに住んでいるのか
ぐらいの差でしか無くなってくる。
本題に戻るが、
「私たちは見た目や出生でその人たちをジャッジしてはいけない。」
と強く思った、あるエピソードを紹介する。
小学生の頃にアメリカに移り住んだ人が2人いた。
ある人はベトナムの出身で、母国の文化や歌、言葉をとても大事にされていて、自分はアメリカ人である前にベトナム人であるということに誇りを持っていた。
またある人は、思想の違いなどが原因で祖国で生活を追われ、小さい頃からアメリカで新しい生活を経験し、たくましく生きている人だった。その方は自分がアメリカ人であるということに誇りを持っていて、生まれてくる子供に祖国の文化を継承させたくない、とおっしゃっていた。
このように、両者が自分自身をどう見ているのか、について大きな違いがある。
そして、彼ら自身がもっているアイデンティティをいかに尊重できるか、というのが大切になってくるんじゃないかと感じている。
少し話は変わるが、留学に行く前に寿司屋でバイトをしていた。
その際に、寿司屋で働いている社員さんとフランスについて世間話をしていると、その人が
「フランスは移民が多くて、最近、本物のフランス人がおらんらしいよな」と言った。
私は頭が凍り付いた。
本物ってなんだよ、
って思ったが、いわゆる白人のフランス人のことを指しているのだろう。
移民だったら偽物なの?本物の定義とは????
と感じた出来事であった。
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