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体質ってイヤだな

体質だよ、と言ったり言われたりするのが嫌いだ。
体質というものに嫉妬している。
才能、とも言い換えられる。

私の母は他の家族と比べてとても身体が強い。胃腸を下すことはほとんどない。更に本人はイライラしたり怒りに振り回されたことがないという。
この前は、同世代の仕事仲間が色々健康に気を遣っているのに私は何もしてない、と聞いた。

とあるテレビタレントの言ったことも印象に残っている。
お便りコーナーでガタイの良さの秘訣を聞かれて彼は、特にやっていないので体質ですねと言った。

また、数ヶ月毎しかバスタオルを洗濯しない男性がお肌スベスベなのも見たことがある。

よく聞く、私特に何も気遣ってないというセリフ。きっと本当に、みんな何もしていないのだ。

今私が上手くいっていないから、そうして嫉妬の目を向けてしまうとは思っている。だが逆の側の視点から言えば、体質のおかげと言っている人はたいてい上手くいっているように見える。本人がどう悩んでいようと。

私も毎日トイレでスッキリしたい。頼もしい身体になりたい。肌の良さをチャームポイントにしたい。

ここでこそ努力、という言葉が私に向けられる。そうだ、私は何の努力もしていない。
そんな人間だが言わせてほしい。
彼らは努力せずにその地点にいる。体質でなければ人生数個分の努力が必要だ。私がしたら文字通り死ぬんじゃないか?
そして、その人生数個分の努力、それができるのもきっと体質だ。

自分でも心から情けないと思う。これはあくまでもさっき浮かんだばかりのふにゃふにゃの仮説。
人間らしい矛盾まみれの考えだ。

私もいつか自分の体質を見つけたい。体質を変える努力という体質になりたい。
せめてそれは願っていよう。

甘えるな、という言葉はもっと嫌いだ。


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