有害な人になってしまう
自分はそんなつもりなど一切ないのに、相手にそう思われる。
久しぶりに純粋な人について語ります。
例えば、相手から素直でいることを求められる。
その求めに応える形で、いまの気持ちを正直に伝える。
結果、イヤな反応が返ってきた。
正直に伝えるとはいえ、ある程度の配慮が必要です。
しかし、純粋な人・・目に見えない障害者はこれが苦手です。
その場に相応しい言い回しや、伝わりやすい言葉選びなどを飛ばして、
「衝動性」という思いつきでつい口を滑らせてしまう。
これも、わたしたちあるあるのひとつです。
なぜそうなるのか?
脳の実行系機能というものの働きが弱いとされているため。
つまり、自分の言動をコントロールするのが困難ということです。
そういうアドリブ力を身に付けられないので、雑談が苦手なままに。
また、嘘も方便という考えを持ちません。
当事者の多くは過去の傷つき体験から、人に対して警戒心が強い傾向。
なので、それまで控えめにしていた分、心を開いた途端にストックした量を一気に出す感覚で話します。
なぜこう言えるのか、以前のわたしがそうだったからです。
コミュニケーションは、互いの意思や感情を共有するための手段。
わたしはずっと、相手不在の自分語りを繰り返したのです。
(当時のわたしと関わった人たちには申し訳ないと思ってます)
このクセですが、実は完治はしていません。
頻度は確実に減りましたが、たまにやらかします。
いろいろなことを試みて、あらゆる特性のひとつひとつを大きく改善させたと言っても、それそのものを治すのは困難。
ですが、この生まれ持った宿命を背負いつつ、いまできることを精力的に取り組み続けます。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?