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人が怖いと思うのは?

相手の思考や感情が読めないから。

目を閉じれば視界が見えないし、まだ来ていない未来だって・・このような目に見えないものは得体の知れないものと感知しては、自動的に脳がそう断定する。

つまり、思い込みということです。

わたし自身、親との関係を発端に心の成長が大幅に遅れました。その結果、外の人間関係をこじらせ、否定の反応を多くもらったことにより、心の傷を刻み込みます。
(既に何をしたらいいかわからず、思いつきでお試し行動を繰り返しました)

以降、引きこもりという逃げ道を作り、同じ世界にしがみつきました。
安全は確保したという感覚でしたが、かわりに人への恐怖心は巨大化。久しぶりに人と会話をしたとき、わかりやすく身体反応が出ました。

もともとの声はうわずり、体は震える。
頭で理解を促しても恐怖心が上回るばかりでひとりになったらただ落ち込む。
こうして、グルグルと自己否定の沼に飲まれたのです。

あと、相手を思い通りにコントロールできない苦しさも原因のひとつ。
コントロールできないということは、思わぬことで否定されるリスクを抱えるということ。

自分の中の正しさを否定されるのは激しい苦痛を味わうこと。恐怖心はその回避を知らせるサインだった。
いまはそう認識しています。

結局は、相手を自分好みに変えたいという黒い欲求が奥底に潜んでいたということ。
これはわたしにとって、腑に落ちる気づきでした。

親との関係を深掘りして、それぞれコミュニケーションスタイルは違っても根は同じだった。わたしは体だけが生きてて、心は別人格をコピーしていた・・そう思うと、自信をなくすのは当然のことです。

だって、そこに自分がいないのだから。

このような対人恐怖ですが、完治はしていません。ただ、大幅に改善はされました。
それは、インプットとアウトプットの両立を習慣づけたことで自己理解を深め、陰に隠れる幼い自分の存在を認めたことによるもの。

こうして、心身のバランスを保っています。

「わたしの人生」は始まったばかり、より充実させるにはさらなる成長を続ける。
その成長を続けるための手段として、また、純粋に楽しむために必要な環境のひとつが、このnoteです。

きのうの自分を超える。
このマインドを持つ限り、残っている恐怖心をさらに小さくできる。
(消したらぶり返りやすくなる)
そう信じて毎日更新を続けていますし、これからも続けます。

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